マーベリックス試合2011.9/11
さぁ~秋の1試合目
こちら兵庫県三田市にある平谷グランド(元マイカルベアーズ練習場)
相手は、近畿大学ザルトリウス(医学部)です。
試合前は、和気あいあいとした雰囲気でしたが
今日は、暑い日で立ってるだけで汗がたらたら
やっとチームロゴとキャラクターが決まり
チーム揃ってTシャツを製作(僕は作りませんでしたが)
試合中、撮影するのはひと苦労
試合結果は、7-0で勝利
秋の初戦、勝つことが第一優先でしたので良かったのですが
内容が最悪です。特にオフェンス
この反省を次の試合までにどれだけクリア出来るかが
チームの成長につながります。
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なにとぞ宜しくお願い申し上げます。





こちら兵庫県三田市にある平谷グランド(元マイカルベアーズ練習場)
相手は、近畿大学ザルトリウス(医学部)です。
試合前は、和気あいあいとした雰囲気でしたが
今日は、暑い日で立ってるだけで汗がたらたら
やっとチームロゴとキャラクターが決まり
チーム揃ってTシャツを製作(僕は作りませんでしたが)
試合中、撮影するのはひと苦労

試合結果は、7-0で勝利

秋の初戦、勝つことが第一優先でしたので良かったのですが
内容が最悪です。特にオフェンス

この反省を次の試合までにどれだけクリア出来るかが
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岩手県大槌町被災地取材~その1 大槌町役場へ!!
2011年9月5日(月)
関西地区を台風が過ぎ去った翌日の朝
伊丹空港よりいわて花巻空港へ出発しました。
目的は、岩手県大槌町へ今の被災地を読者に伝えるため
6日(火)まで1泊2日で取材に行きました。
宿泊先のビジネスホテルは、山側の北上市内にあります。
沿岸部は、ほぼ全滅なのでこちらからレンタカーを借りて
往復するしか交通手段がありません。
片道3時間近く掛かるので行く途中、コンビニで休憩
霧が出てきてます。ちょっと心配です。
釜石市を越えて大槌町へ行く途中、瓦礫の山と
津波の影響を受けた集合住宅
大槌町に着きました。この画像見てください。
ここがほんとに大槌町なのかも分からないくらい何もかも
なくなってます。恐らくここには、住宅や商店があったのでしょう。
この建物の被害状況で津波がどの高さまで
押し寄せたのかが分かります。
以前の大槌町町役場
3月11日、若手の職員を屋上へ避難させ
2階部分に残り最後まで指揮した課長以上の職員と町長は
被害にあり、亡くなられました。
当時、2階まで津波が来ることを予測できなかったことが分かります。
こちらは、現在のプレハブで建てられた仮町役場
全国の都道府県より中長期で応援に来られました。
北海道、静岡など・・・
一番、応援に来られているのは近畿広域連合から指示もあり
近畿地区から特に大阪の箕面市、泉南市、高槻市など
8月1日から3ヶ月間、こちらに住み込みで、片道1時間30分
掛けて応援に来られている箕面市、泉南市の職員の方に
インタビューしましたが
「復興に向けて何か残していかなければ来た意味がない」と
かなりの使命感があることをひしひしと感じました。
特に箕面市から来られている職員の方は
大槌町にあった小学校4校 中学校1校全て被害にあい
仮設住居から遠くの町の学校まで通っている子どもたちに
何とか大槌町で通えるようにしたいと学校の設営の責任者を
されており、9月20日の開校に向けて日々頑張ってられます。
なるべく以前の学校から備品をかき集めて使用しようと
されているのですが机といすが不足しているみたいで
山側の都市に援助要請をされているようです。
我々は、1泊2日でしたが長期で滞在すると現地の方とのふれあいや
同じく復興に希望を持って活動されている役場の方々を見ていると
気持ちが変わってくるのだと思います。
大槌町の方は、100%仮設住居に移動されたので
避難所はありません。この小学校も津波の影響と火災で今は
町役場の事務所として使われてます。
大槌町の町は、山間の住居を除けば、ほぼ全滅で
くずれた堤防もそのまま、瓦礫の撤去をすすでいるものの
未だ住居を建てる計画もありません。
それには町だけでは、出来ないこと
国がちゃんと指揮しないとどうにも動けないことです。
この被災地取材の記事は、次に続きます。
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なにとぞ宜しくお願い申し上げます。





関西地区を台風が過ぎ去った翌日の朝
伊丹空港よりいわて花巻空港へ出発しました。
目的は、岩手県大槌町へ今の被災地を読者に伝えるため
6日(火)まで1泊2日で取材に行きました。
宿泊先のビジネスホテルは、山側の北上市内にあります。
沿岸部は、ほぼ全滅なのでこちらからレンタカーを借りて
往復するしか交通手段がありません。
片道3時間近く掛かるので行く途中、コンビニで休憩
霧が出てきてます。ちょっと心配です。
釜石市を越えて大槌町へ行く途中、瓦礫の山と
津波の影響を受けた集合住宅
大槌町に着きました。この画像見てください。
ここがほんとに大槌町なのかも分からないくらい何もかも
なくなってます。恐らくここには、住宅や商店があったのでしょう。
この建物の被害状況で津波がどの高さまで
押し寄せたのかが分かります。

以前の大槌町町役場
3月11日、若手の職員を屋上へ避難させ
2階部分に残り最後まで指揮した課長以上の職員と町長は
被害にあり、亡くなられました。
当時、2階まで津波が来ることを予測できなかったことが分かります。

こちらは、現在のプレハブで建てられた仮町役場
全国の都道府県より中長期で応援に来られました。
北海道、静岡など・・・
一番、応援に来られているのは近畿広域連合から指示もあり
近畿地区から特に大阪の箕面市、泉南市、高槻市など
8月1日から3ヶ月間、こちらに住み込みで、片道1時間30分
掛けて応援に来られている箕面市、泉南市の職員の方に
インタビューしましたが
「復興に向けて何か残していかなければ来た意味がない」と
かなりの使命感があることをひしひしと感じました。
特に箕面市から来られている職員の方は
大槌町にあった小学校4校 中学校1校全て被害にあい
仮設住居から遠くの町の学校まで通っている子どもたちに
何とか大槌町で通えるようにしたいと学校の設営の責任者を
されており、9月20日の開校に向けて日々頑張ってられます。
なるべく以前の学校から備品をかき集めて使用しようと
されているのですが机といすが不足しているみたいで
山側の都市に援助要請をされているようです。
我々は、1泊2日でしたが長期で滞在すると現地の方とのふれあいや
同じく復興に希望を持って活動されている役場の方々を見ていると
気持ちが変わってくるのだと思います。
大槌町の方は、100%仮設住居に移動されたので
避難所はありません。この小学校も津波の影響と火災で今は
町役場の事務所として使われてます。
大槌町の町は、山間の住居を除けば、ほぼ全滅で
くずれた堤防もそのまま、瓦礫の撤去をすすでいるものの
未だ住居を建てる計画もありません。
それには町だけでは、出来ないこと
国がちゃんと指揮しないとどうにも動けないことです。
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