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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

たぶん初めて読む松浦理英子さんの作品。

 

序盤は

女子高校生の話かあ

べつに女子高校生の感性や日常に興味なんてないんだけどなあ

って感じであんまり期待せずに読み始めたのだが

途中で

これはなかなかすごいかも

って思った。

 

感情の機微の表現が

これまでぼくが抱いたことのないようなものだったからだ。

 

ああこういうふうな感じ方があるのか

って感じ。

 

もちろんフィクションなので

実際にある感じ方なのかどうかはわからないし

現実の女子高校生の感覚からみてどうなのかもわからない。

 

でもすごく説得力があるような気がした。

 

もしも現実の女子高校生が

あんなふうに自分の身の回りの世界のことを感じているとしたら

それはとてもゆたかなことで

ぼくが男子高校生だったころには想像もつかないことだ。

 

こりゃあ男子が女子と対等に会話できるはずがない。

 

いやもしかしたら

男子高校生は男子高校生なりに

女子高校生には感じ取れない世界を感じていたのかもしれないけど。

 

中心的な登場人物である3人

日夏、真汐、空穂

が構成する”わたしたちのファミリー”と

彼女らをとりまくクラスメートたちの話なんだけど

わたしたちの想像

っていう前提で登場人物たちが他の登場人物を語る描き方が

いい具合に小説世界を重層的にしていて

絶妙だった。

 

現実の世界も自分の想像でしかないのだからね。

 

それにしても

わたしたち

っていう主語はいったいだれなんだろう。

 

特定のだれかではなく

”わたしたちのファミリー”

をとりまくクラスメートの集合意識とか

妄想のすり合わせの結果だと思って読んでいたけどね。

 

ストーリーもよかったのだが

ひとつひとつの感情の描写がおもしろかったので

文章そのものをたのしむことができる作品だと思う。

 

最初から最後まで慎重で抑制のきいた文章に理性を感じた。

 

ところで

美織の両親みたいなのって

あんな感じ

鼻につく部分もあるけど

やっぱり好きだな。

 

 

 

 

--最愛の子ども--

松浦理英子

町田康さんの

生の肯定

がおもしろそうなので

読んでみようかなと思って調べてみたら

どつぼ超然

この世のメドレー

に続くシリーズ完結編

とのことだったので

どつぼ超然

を読み始めてみた。

 

冒頭からおもしろかったのだが

梅田の串カツ屋での出来事に端を発し

新橋

銀座

と串カツ屋を探し求め

まったく飄然とできなかった

みたいなくだりが出てきたので気になり

やはりこの

東京飄然

から読み始めることにしたのだった。

 

どつぼ超然シリーズは小説なのだが

東京飄然はエッセイなのである。

 

副題は

作家のとらえた幻想的な東京

となっている。

 

作者本人と

西森美美さんの写真がいい味出してる。

 

ぼくもこんな感じの写真を撮って

インスタでも始めてみようかな

なんて思わず思ってしまいそうになる。

 

でもやらない。

 

いや

やれない。

 

なぜならスマホではなくガラケーだから。

 

ちなみにガラケーはポリシーということにしている。

 

で本題。

 

月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。

 

ではなくて

 

旅に出たくなった。なぜか。理由などない。風に誘われ花に誘われ、一壺を携えて飄然と歩いてみたくなったのだ。

 

で始まる。

 

出だしからいい感じ。

 

そう旅に出るのに理由なんていらない。

 

飄然。

 

ああいいなあ

飄然いいなあ。

 

かつてのぼくはよく

飄々としてるね

っていわれていたものだった。

 

最近はぜんぜんいわれないけど。

 

なんでだろう。

 

ロスト飄々。

 

カムバック飄々。

 

町田康さんの目論む飄然旅は

ぜんぜん飄々としない。

 

世知辛い世の中と自意識にもみくちゃにされてる。

 

夏目漱石の草枕的な

超俗的で高踏的な美意識を持とうとするが

それもままならず。

 

超俗的で高踏的な美意識。

 

これもいいなあ

超俗的いいなあ

高踏的いいなあ。

 

やっぱり串カツのくだりはめちゃめちゃおもしろかった。

 

読んでいるぼくも

もう串カツのことしか考えられなくなってしまい

とうとう自分でも食べに行ってしまった。

 

串カツなんてそんなにいいもんじゃないんだけどね。

 

おいしかったけど。

 

何本か食べたらもう満足。

 

っていうかおなかいっぱい。

 

江ノ島とか

上野の美術館とか

高円寺のロックとか

めちゃめちゃ描写がおもしろい。

 

葛藤

妄想

思索。

 

自意識にまみれてむちゃくちゃだけど

ひとの頭の中を覗いているようなこの感覚が

いつの間にか自分の頭の中を覗かれているみたいに反転して

なんともかんともものすごく気持ちよくなる。

 

ぼくにとって町田作品は

気楽に読めるありがたい存在。

 

読んでるときはたのしくて

あとにはなんにも残らないけど

それでオーケー大丈夫。

 

ぜんぜん飄然としていない旅なんだけど

こうして第三者の目に触れるような文章になった時点で

やはり飄然としているのかもしれない。

 

見慣れたありきたりの風景も

妄想を膨らませればこんなに幻想的になる。

 

 

 

 

 

--東京飄然--

町田康

実はぼくにとっては初めての

三島由紀夫作品。

 

あの死に方の印象が強くて

つい敬遠してしまうんだよね。

 

でも

川端康成とノーベル文学賞を争うほどの

作家なので

読みたいという気持ちもどこかにあって

あるとき書店で平積みにされていたこの作品を手にとったわけ。

 

映画化されたから平積みされてたみたいなんだけど

帯に載ってる俳優たちはあえて見ないようにして

作品を読み始めた。

(でもリリー・フランキーだけは目に入ってしまった。)

 

読み始めは

なんてモダンでかわいらしい作品なんだ

って思った。

 

ものすごく現代風の雰囲気。

 

文章にも癖がなく端正。

 

ところどころにお気に入りの表現が入ってくる。

 

ぼくも彼らのように

ほんとうは地球人ではなくて●●星人なんだ

なんて信じながら暮らしたい

って考えながら読んでた。

(ところでぼくは何星人だろう?)

 

でも

暁子があんな感じになってから

どんどん不穏な方向に話が進んでいって

こういうギャップを狙っての序盤のかわいらしさだったのか

と感じ始める。

 

ところで

暁子があんな感じになったときには

なぜか

太宰治の斜陽のかず子や

谷崎潤一郎の細雪の妙子

が思い浮かんだ。

 

別につながりはなかったけど。

 

それから

仙台の三人組の設定は笑えた。

 

なんて典型的な三人組なんだ

って。

 

あんな暗い考え方じゃぜったいに女性にはもてないよな。

 

もてないから暗い考え方になったのかもしれないけど。

 

せめて気持ちは明るくいきたいものだ。

 

って

それはともかく

地球をめぐる両者の対立

応接間のシーンでのやりとりは

なかなかシリアスだったが

いかんせん

いまの世界情勢とはずれていて

いまひとつ迫力や説得力には欠けていたような気がする。

 

ぼくの読みが浅いせいかもしれないけれど

普遍的

っていうのはむずかしい。

 

全体を通して

三島の美意識の片鱗は感じられたかもしれないけれど

この作品で三島を知った気になってはいけないような気がする。

 

そういうわけで

いずれ

仮面の告白

とか

金閣寺

とか

豊饒の海シリーズ

とかを読んでみたい気持ちになった。

 

 

 

 

--美しい星--

三島由紀夫