山内マリコさんの
あのこは貴族
からの
姫野カオルコさんの
彼女は頭が悪いから。
落差というか
人間って見た目はほとんど同じなのに
世界観というか
世界の見え方はひとりひとり全然違うんだよな
っていうことを
小説を通してあらためて確認した。
同じ学校に通っていても違うし
同じ飲み会に参加していても違うし。
本書は現実に起こった事件に着想を得た書き下ろし小説です。
作中人物の行動や心情等は作者の創造に基づくもので、
実在の人物、団体とは関係ありません。
と巻末に書いてあるので
あくまでも小説
フィクションとして読んだけど
事件当日にあの部屋で起こった現象面と同じことは
wikipediaにも書いてあった。
そこに至るまでの過程まではわからない。
それを創造や想像で補ったのが
作者の思いなのだろう。
加害者も被害者もこの日たまたまこういう目に遭った
というのではなく
これまでの人生の積み重ねによって
こういう目に遭ったというのは悲しいことだけど。
東大生であろうがなかろうが
こういうふうに他人を
見くだしたり
侮ったり
人間としてではなく物のように扱ったりするっていうのは
気持ちがわるい。
ここまで酷いことじゃなくても
誰にも似たようなことがあるだろう。
ないというひとは想像力が欠如している。
オクトーバーフェスティバルの夜は
軽々しくはあるけれど
若者にはあってもいい
夢のようにきらめいた時間だった。
他人の気持ちを慮るっていうのを
時間の無駄とばかりに省略して生きているひとって
けっこういる。
なんでそれが想像できないの?
って不思議なこともあるけど
そういう環境で育てばそういうことになるだろう。
家庭の問題でもあるし
教育の問題でもある。
いや
この社会の問題でもある。
美咲の出した示談条件は
この問題の本質を捉えているのかもしれないし
的を外しているのかもしれないが
小説としては大きくうなずいた。
三浦紀子が三浦紀子に電話で放ったひとことは
映画「評決のとき」のマシュー・マコノヒーを
思い起こさせた。
まさにそういうことだと思う。
終盤に山岸遥がつばさに言うひとこともいい。
そして最後の2行。
裁判を経験してもそうなるのか。
まあ小説なので実際はわからないけど。
そういえば作中で
立花隆さんは時間の無駄だから小説を読まない
みたいなことが出てきて
まあたしかに小説を読むことは時間の無駄っていうひとはいるけど
立花隆さんの場合は
ノン・フィクションは相当読んでいるはずで
知の巨人は
人文を軽視しているわけではないと思った。
--彼女は頭が悪いから--
姫野カオルコ