東京都同情塔 九段理江 | (本好きな)かめのあゆみ

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

理知的な文章。

 

物語の起伏とかはあまりなく

クライマックスとかカタストロフとかもない。

 

いやあるのかもしれないけれど

極めて抑制的に描かれているので

ないように感じられてしまう。

 

だからといって単調なわけではなく

その舞台設定の妙により

最後まで興味深く読ませる。

 

思考実験といえるかもしれない。

 

実際に

シンパシータワートーキョー

が建設されることはないだろう。

 

だって

この塔がいくら巨大だとはいえ

ここでいう

ホモ・ミゼラビリス

同情されるべき人々

は現実の世界には

この塔には収まりきらないくらい多いんだから。

 

ぼくがいいなと思ったのは

ザハ・ハディド設計の

新国立競技場が

現実化した未来であることと

ひとびとが同じ言葉を用いながら

その意図がばらばらすぎるために

なにひとつ意思の疎通ができなくなった

未来(現代?)であること。

 

最初に人類が言語を発したのは

なにも合理性の追求の結果ではなく

肉体の内側からとどめようもなく噴出した

叫びのようなものだったのではないか。

 

そうして生まれた言語が

時を経て

肉体から分離し

記号と化して現代に至っている。

 

その記号も

受け入れられるひととそうでないひとに分かれ

集団も個人も分離していく。

 

この小説の文章を

人間味がないとか乾いているなどと

感じるひともいるのかもしれないが

案外わかい世代にとっては

これがふつうの文章に感じられているかもしれない。

 

SFという捉え方をすれば

ル・グィンの

作品に通じるものがあるような気がする。

 

読み始めの方では

建築家ってそういうことを考えるかな(あるいは考えないかな)

という違和感を少し覚えたところもあったが

作者は建築家の本も何冊も読んだうえで執筆したらしいので

ぼくの感覚が浅いのかもしれない。

 

 

--東京都同情塔--

九段理江