極夜行 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

ノンフィクションの探検ものは久しぶりだ。

 

なぜこれを読んでみようかと思ったかというと

目的地を定めた探検ではなくて

極夜後に見る太陽に何を感じるかという体験を求めた探検だというので

その探検の途中での著者の思索について

いったい何を感じるんだろうと興味が湧いたからだ。

 

極夜っていうのは

緯度が高い地域で起こる

何か月も太陽が昇らずに夜が続く現象のこと。

 

白夜の反対

って感じでいいかな。

 

舞台は

北緯78度から79度

グリーンランドの

シオラパルクから

メーハン氷河を超え

氷床

ツンドラ地帯

を抜けるルート。

 

この本を読んでいる2週間足らず

ぼくは作者の探検を追体験していた。

 

マイナス40度

昼も太陽が昇らない暗闇の毎日

ブリザード。

 

プラス20数度の快適な部屋での

想像のなかでの探検なのだが

毎日の仕事を終えてから本のなかで探検をするのが待ち遠しかった。

 

それくらい刺激的だった。

 

もともと著者のこの探検の目的が

極夜の世界に行けば、真の闇を経験し、本物の太陽を見られるのではないか

というものだったので

その探検の途中では自ずと

哲学的な思索が繰り返されるのだろう

たとえば比叡山の千日回峰行のように

と期待していたのだが

案外

不運に見舞われれば汚いことばで激しく罵ったり

美女のことを妄想したりと

崇高な思索からは程遠い

身近というか人間らしいというか正直というか

そういう場面がけっこうあった。

 

冒頭の

妻の出産の場面がとても良くて

がんばれって励ましてるのに

「お願い…。二酸化炭素をこっちに向けて吐きかけないで…」

って言われるところは何かを思い出して身につまされた。

 

赤ん坊が生まれ出る場面からは

この探検の暗示しているところが想像できて

それはやはりその通りだったのだが

そんな予測をものともしない切実さがこの本にはあった。

 

探検そのものもすごく良くて

著者が見た空や太陽や月や星や雪や氷や海や風や空気の冷たさを

ぼくも見たいと思ったし感じたいと思ったし

だけど実際にそれを見たり感じたりするためには

ものすごい準備と危険が必要だっていうのもわかって

だから想像の中だけに留めておく。

 

読みながら思ったのは

探検はこんなふうに危険を冒してどこかに行かなくても

毎日の生活を探検だと思えば探検になると思うし

実際に毎日の生活のあちこちに危険は転がってるし

未知なるものも感動的なこともたくさんあるんだから

それを見たり感じたりする感性だけ常に意識しておけば

毎日の生活が楽しく刺激的なものになるんだよな

っていうこと。

 

現代の日本は

漫然と暮らそうと思えば暮らせてしまうので

そこは自覚的に意識的に

毎日を探検するように生きたいなと思った。

 

人類史上初めて

みたいな経験は無理かもしれないけど

自分史上初めて

という経験はまだまだチャンスがある。

 

だってぼくの知っていることや経験したことなんて

まだすべての可能性のなかのほんの少しでしかないんだから。

 

 

 

 

--極夜行--

角幡 唯介