脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

中野信子さんの本を読みたくて読んでみた。

 

脳科学者の中野信子さん

批評家の中野剛志さん

評論家の適菜収さん

の対談。

 

脳科学

社会学

哲学

経済学

などの知見を基に

個人的な見解を好き放題にしゃべってた。

 

読み始めは

おっさんふたりうるさい

中野信子さんにもっとしゃべらせろ

と思っていたのだが

途中からは無茶苦茶ではあるものの

それなりにおもしろい部分もあり

居酒屋トーク的にたのしくもあった。

 

まあでもあくまでも中野信子さん以外は居酒屋トークなので

これで世界を動かすことはできないけどな。

 

実際に世界になんらかのアプローチをおこなって

よくもわるくもなにかを変えているひとからしてみたら

しょうもない話でしかないわけだけど。

 

保守とかリベラルとか右とか左とか

もうそんなことばには辟易としていて

レッテル貼りには意味がありませんよ

ってあらためて思った。

 

保守といわれているひとの

実態はぜんぜん保守じゃないし

リベラルといわれているひとの

実態も保守っぽかったりするし。

 

それぞれの支持者が

自分に都合のいい部分だけを切り取ってそうみてるだけ。

 

まあ

誰かあるいは何かの思想に全部共感する

なんてあるわけないしあったらあぶないけどね。

 

おわりに

のところで

社会科学がどうして進歩しないのか

っていう部分の意見はなるほどなと思った。

 

人間の営みを深く知ろうとするとそれなりの経験が必要で

それにはどうしてもひととおりの世代を自分が経験する必要がある。

 

自然科学みたいに若くても才能があればいいってもんじゃない。

 

頭だけでは無理っていう。

 

そういうふうに考えると

社会科学の分野ではまだまだチャンスがあるわけだ。

 

主題とは逸れるが

左翼は漢字をひらがなにひらくのが好きです

のくだりには

やばい

と思った。

 

ぼくってけっこうひらがなにひらきがちなので。

 

でも

ぼく

についてだけいえば

としないで

ぼく

とするのには理由があって

のなかに

しもべ

っていう語感が含まれてるのがいやなんだよね。

 

 

 

 

 

 

--脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克--

中野剛志 中野信子 適菜収