異郷の友人 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

太陽
惑星
私の恋人
に次ぐ
上田岳弘さんの4作目。

このひとの作品の世界観が好きなんだよね。

この
すべてはあらかじめ把握されている
っていう感じ。

決定論的ってわけでは必ずしもないんだろうけど。

人間が不老不死でしかもあらゆる記憶を忘れることなく保有できるとしたら
はたしてどのように世界に関わることになるのだろうっていう。


まさに
インターネット上に世界中のひとびとの思考や行動が記録され
共有されている現在の状況がより進めば
ある意味で
不老不死であらゆる記憶を忘れることなく保有し
さらに適切に分析するということまでできるっていう
個ではなく集合としての不老不死が完成するのだろう。

この作品のテーマがこういうことなのかどうか
そもそもテーマがあるのか
もしかしたら
暇をもてあました神々の遊び
みたいなことなのかもしれないけれども
まあぼくにとってはとてもおもしろい小説だった。

最近こういうことをテーマにした作品が多いような気もするけど
あるいは単にぼくが好きな作品がそういうのが多いからかもしれないけど
それにしてもここまでの4つの作品をさらに文学的に発展させたら
世界中の小説好きが読むような作品になるかもしれないとも思う。

まあこういう作品は理屈に偏りすぎている面もあって
好き嫌いがわかれるのかもしれないけど
はっきりいって女性はあんまり読まないかもしれないけれども
それに一歩間違うとただの中二病っていうそういう側面もあって
けれどもぼくは
中二病で何が悪い!
って開き直っている方なのではあるが
そんな世界観。

終盤で差し挟まれた他人の記憶に矛盾が起こるところが
後で何かにつながるのかなって思っていたけど
放ったらかしにされているように感じたのだが
どこかにつながっていたのかな?

まあいちいちすべての伏線を回収する必要なんてないけど。

違和感を違和感のまま
謎を謎のまま
不可思議を不可思議のまま
矛盾を矛盾のまま
残しておくので問題ないけど。

読み始めの時点でラストの舞台をある程度予測していたのだが
途中の展開で忘れてしまっていたので
いよいよラストの舞台にたどり着いた時には
おおっ!そうつながったか!
って目が覚める思いがした。

さて第4作目までで形而上の世界を描いた上田岳弘さん。

そろそろ形而上と形而下を結ぶ作品にシフトしていくのだろうか。






--異郷の友人--
上田岳弘