最近どういうわけか
サイコパス
の情報に触れる機会が多いような気がする。
これってぼくだけ?
それとも世間の関心が高まっているから?
サイコパスが増えているから?
サイコパスについての説得力のある実験成果が出てきたから?
メディアがキャンペーンを張っているから?
おそらくそのどれもなんだろう。
先日もNHKの白熱教室で
ケヴィン・ダットン博士の講義を観ていたら
サイコパスのことを採りあげていた。
サイコパスといえば
異常犯罪の犯人というイメージがあるが
それはサイコパスかどうか調べることができるのは
犯罪を犯したひとくらいで
普通のひとにそんな診断はできないからだそうだ。
で
実際にはサイコパス的傾向のあるひとは
異常犯罪者だけではなくて
社会的に成功をおさめているひとにも多いらしい。
弁護士や外科医
CEOなどもそう。
サイコパス的傾向って何か?
口達者
自己中心
病的に嘘つき
罪悪感の欠如
感情の欠如
長期的な目標の欠如
ほかにもいろいろと条件が並ぶ。
罪悪感の欠如
とか
感情の欠如
なんていうのは
まさに異常犯罪の典型のような気もするが
実際にはこの特性を上手に活用することで
社会的な成功をおさめるひともいるらしい。
つまりは
サイコパス的傾向は必ずしも
社会にとってネガティブなものではなく
むしろ発現の仕方によっては
社会にとってポジティブなものとなる場合だってあり得る
ってこと。
実際
経営者として成功しようと思うと
非情な判断をしなければならない場面も多いだろう。
ぼくはこんな夢想をしてしまう。
あらゆる感情を排して
すべてを客観的に判断できる者が優れているとするならば
究極的には
いずれ人工知能が最も優れている存在となるだろう。
人間の感情も野蛮なものとされ
人間が人工知能に近づいていくに違いない。
そして発展した人工知能はやがて人類を邪魔者扱いしていくだろう。
なにしろ人間はあまりにも不合理な存在なのだから。
それからもうひとつの夢想。
資本主義のシステムはまさにサイコパスそのものなのではないか。
資本主義を考え出し
発展させたたひとたちに
サイコパス的傾向が強かったとしたら
資本主義で成功していくひとにサイコパスが多くなるのは必然。
資本主義は初めから人間の感情を否定するシステムだったのかもしれない。
まあこんな夢想はあまりにも単純で乱暴なものだとは思う。
思うけれどもいっぽうで
あながち荒唐無稽というわけでもないように感じられるのは
やはりぼくの思考の浅はかさによるものだろうか。