バカの壁 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

5年ぶりに再読。

最初に読んだのが2003年なのでおそらくこれで3回目。

なぜいまこの本を読もうと思ったのか。

たぶん
自分が思う正しさだけを主張して
相手の思う正しさをわかろうとしない
という現在の状況が“バカの壁”ということばと
ぼくのなかでフィットしたんだろうな。


その感覚は正しかった。

まあ
この本の全部に納得できるわけではないけど
最初と終わりの部分が今回はしっくりきた。

--自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存在しています。これも一種の「バカの壁」です。

冒頭で
ある夫妻の妊娠から出産までを追ったドキュメンタリー
を学生たちにみせた時の反応を紹介しています。

女子学生たちは新たな発見もあり興味深くみた
といい
男子学生たちは知っていることばかりで新しい発見などなかった
という。

妊娠出産の当事者意識の強い女子学生は
細かな部分を含めて興味深く情報に接しているが
男子学生は当事者意識が薄いせいで
端から情報に興味を抱いていない。

本来はたくさんの興味深い情報が詰まっているはずのものに対して
最初から情報を遮断してしまっている。

こんなことは日常生活で頻繁にあることだ。

当事者になって初めて気づくこと
っていうのは多い。

それなのに
当事者意識が薄い状態で
わかっている気になっている。

わかっていないのにわかっている気になるくらいなら
経験がないのでわからない
当事者じゃないので興味がない
という方がまだ正直。

養老先生流に
脳内で起こる現象を一次方程式に表してみた
y=ax
の話が印象的。

なんらかの刺激xが五感から入力され
それにaという係数が脳内で掛けられ
yという反応として出力される。

その係数aがゼロの場合
つまりxに興味がない場合
反応yはゼロになる。

係数aがマイナスの場合
つまりxに対して拒否感を抱いている場合
反応yはマイナスになる。

係数aがマイナスの場合は
拒否感とはいえ興味はあるわけなので
何らかのきっかけがあれば
プラスに転じ得るが
そもそも興味がなくゼロである係数aを
プラスに転じるには相当のエネルギーが必要になる。

最初からわかるつもりがないひとに対して
話せばわかる
なんて考えるのは非現実的なこと。

ぼくは日々
考え方の違うひとの意見にも耳を傾け相互理解を深めることが大切
とか
まったく異なる考え方でも相手の考え方を知ることで自らの考えをより強固にすることもできる
なんていっているけど
実際のところ
それが失敗してもう諦めちゃっているっていうこともしばしばある。

どうやってもわかりあえないんだから
あとはもうできるだけ接触を避けるしかない
っていうふうにしているパターン。

これって
最初は“バカの壁”を乗り越えようとしていたとしても
結局乗り越えられなかったってことになるのかな。

それとも
いちおうの努力を経たあとに無用の衝突を避ける
というのはおとなの知恵になるのかな。

まあ
合意形成の努力を諦めてはいけない
って口でいうのは簡単だけど実際にそれをするのには
かなりのエネルギーが必要なんだろうな。

最低限
守らなければならないことは
わかりあえないとしても相手の存在価値をあたまごなしに否定しない
ってことだと思う。

それと
自分の耳に心地いい情報ばかりに接しているのも
偏った考えになってしまって良くないだろう。

自己を振り返りつつそんなことを思った。




--バカの壁--
養老孟司