短編が9本。
2006年の作品から2013年の作品まで幅広く。
動物たちに
芝居をさせたり
家庭を営ませたり
文学を紡がせたり
人間に変身させたり
とまあいろいろさせてみて
つまりはなんだかあんまり作者がエネルギーを注ぎ込んでいない感じ。
もちろん高橋源一郎さんだからうまいのはうまいんだけど
やっつけ仕事でちゃちゃっと書いちゃいました
って感じでそれほど思い入れを感じなかった。
そんなに気持ちを込めて臨んだ仕事ではなかったのだろう。
にしても8年もの間にいろいろと動物を用いた作品を書き溜めて
やがて1冊の短編集にまとめられるっていうのが
計画的というか結果オーライというか
なにごとも続けてみるもんだねえ
ってことなのかも。
基本的には荒唐無稽でとぼけた感じの短編の集まりなのだが
巻末の表題作“動物記”だけがなぜだか私小説風で
ぼくはこれがいちばんおもしろかった。
志賀直哉の“城の崎にて”を思い出したが
似ているかどうかというと的外れかもしれない。
作品の主題ではないが
主人公が幼少時にともだち(父の経営する工場の従業員の息子)と一緒にザリガニ釣りをするエピソードがあり
ぼくも自分のこども時代を思い出した。
ザリガニ釣り。
いま思えば
立ち入り禁止のため池みたいなところに毎日のように忍び込み
どろどろになりながら遊んでいたのは
恐ろしい話だ。
よく事故や事件に巻き込まれなかったものだ。
で
ぼくなんかは近所の駄菓子屋で買った味イカみたいなのを餌にしていたのだが
ともだちなんかはちょうどこの“動物記”のエピソードのように
釣ったザリガニそのものをばらして餌にしていた。
ともだちに残虐な意図はなかったのかもしれないしあったのかもしれないが
ぼくはそういうのが苦手なこどもだった。
生きたままのカエルの皮を剥いでいる子もいたなあ。
やっぱり彼らにはこどもなりにも残虐行為に快感を覚える嗜好があったのかもしれない。
いまごろ彼らはどんなおとなになっているのだろう。
そういう経験を経ているからこそやさしいおとなになっているのか
やっぱり暴力的なおとなになっているのか
そもそもまったく因果関係はないのか。
――動物記――
高橋源一郎