12月1日の話になるのだが
NHK-Eテレの
ハートネットTV ブレイクスルー
File.19 音楽は魔法ではない でも音楽は…
~シンガーソングライター 大森靖子~
を観た。
たまたま見かけた番組から流れてきた歌声とメロディー
そしてその曲を聴きながら大泣きするファンの女性の姿を見て
目と耳が離せなくなった。
橋本愛さんとか
朝井リョウさんとか
若い世代の俳優や作家の支持を得ているようだ。
大森さんのような表現者は
数年にひとりはあらわれる。
誰かと比較されたりカテゴライズされたりするのは
表現者の嫌うところではあるだろうが
こういう内向的で激情的な表現者は
ひとりいればそれで十分かというとそういうわけではなく
各世代に必要なのだろう。
マイナス100のものをプラス100にする力じゃなくて
マイナス100のものをマイナス99にするプラス1の力
そういう音楽が必要で
しかも質がよくなくちゃならない。
そういう寄り添い方。
両親に決められて厭だったという
絵画や書道、ピアノなどの習い事。
厭だったというけれど
いまの彼女には
そのときの習い事が役に立っている
って側面もあるんじゃないかな。
ライブハウス無力無善寺。
偶然辿り着いたというその場所で
たったひとりの観客のために歌う日々。
表現することの喜びを知る。
良いことも悪いことも評価される立場を心地よく思う。
社会の既定のルールに合わせたくはないが
コミュニケーションに飢えている
っていう感情。
なんで自殺は厭だったかっていうと
殺されるのと一緒だと思ったから。
それって負けじゃないですか。
死んだ方が楽に決まってるし
何回も死にたいって思ったけど
殺されるのなんか絶対に厭じゃないですか。
自分を追いつめてくる人間に。
なるほど。
自殺は自分を殺す殺人だ
って考え方は知っていたけど
自殺はその原因である何者かに殺されること
っていう考え方は新鮮だった。
たしかにそのパターンもある。
大森靖子さんは
迷える10代20代の救世主になれるだろうか。
もうなっている?
メジャーになると音楽が商業になって質が変わるから
マイナーなままでいてほしい
っていうファンもきっと多いだろうな。
でもある程度商業の衣を身にまとって利用しつつ
その内側にはしっかりと原点である社会への違和感を抱き続ける
そんなしたたかな表現者であってほしい。
ノスタルジック J-pop
J-popってもはや郷愁の対象なのか。
――ノスタルジック J-pop――
大森靖子