ひとりで仕事に立ち向かう。
それはときに
さびしくて孤独な作業だ。
たとえそれが
好きで好きで仕方がない仕事であっても。
自分にはこれっぽっちも能力がないのではないかと
絶望するときもある。
自分のやっていることには意味がないのではないか
誰の役にも立っていないのではないか
やらなくても構わないのではないか
そんなふうに思い詰めることもある。
やり遂げられるかどうか。
それはすべて自分ひとりにかかっている。
けれどもそれが
誰かといっしょに進められるならばどうだろう。
信頼できる誰かが
寄り添って励ましてくれるならどうだろう。
父のように
母のように
コーチのように
こころの通じあった友人のように。
作家である主人公が
いつものように夜のまちを散歩していると
携帯電話が落ちていた。
夜が明けたら警察に届けようと
ひとまず自宅に持ち帰る。
朝
拾った携帯電話に届いたメールの着信音で目が覚める。
ほんの些細ないたずらごころで
落とし主のふりをして返信してみる。
そこからはじまる奇妙な交信。
携帯電話の落とし主は誰なのか。
メールを送信してくるひとは誰なのか。
自分に寄り添い励ましてくれる存在。
それはいったい誰なのか。
自分で自分を抱きしめたくなるそんな短編。
椎名林檎さんはこの作品で号泣したという。
ぼくは泣きはしなかったが
この作品で号泣する林檎さんの心情を
思い浮かべながら読んでしまった。
自分のなかの何かを
かたちにしてあらわすというのは
孤独な作業だ。
なにしろ自分のなかのことは
自分にしかわからないのだから。
作家や音楽家に限らず
生きていれば
自分だけで何かをしなければならない場面は
しばしば訪れる。
世界が自分を孤独にしているのか。
自分が世界を遠ざけているのか。
ほんとうに自分をたいせつにしてくれるのは誰なのか。
それに気づいたときに見上げた空は
どんなふうに見えるのだろう。
――空を待つ――
西加奈子