動物農場 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

動物の動物による動物のための農場。


人間の支配からの解放。


動物たちが

自分たちの自由を奪い成果を搾取する人間たちを農場から追い出して

みずから農場の経営をする

っていうお話。


スターリン時代の旧ソ連を思わせる展開。


ユーモラスでアイロニーに富んだ寓話。


こういうの大好き。


鶏は人間に食べられるためでなく子孫を残すために卵を産み

牛は人間に飲まれるためでなく子牛たちに飲ませるために乳を出し

馬は人間のためでなく自分たちのために農地を耕す。


いざ農場経営をはじめてみると

意外と人間のおかげで楽だったり便利だったこともあることに気づくのだが

たとえ不便でも人間に支配されるよりは自分たちでやっていくことを選ぶ動物たち。


動物たちが農場経営をはじめた当初に掲げた7つの取り決め。



1 二本足で歩くもの、すべて敵なり

2 四本足で歩くものまたは羽あるもの、すべて仲間なり

3 動物たるもの、衣服をつけるなかれ

4 動物たるもの、ベッドで眠るなかれ

5 動物たるもの、酒を飲むなかれ

6 動物たるもの、他の動物を殺すなかれ

7 すべての動物は平等なり



物語のなかでは豚がもっとも賢い。


他の動物たちは読み書きもできず過去の取り決めもすぐに忘れてしまうが

豚だけは人間が残していった書物などから読み書きをマスターする。


知的労働には知的労働にふさわしい待遇が必要。


指導者がいなければ皆がまとまることもできない。


動物たちはみな平等だが

平等を維持するためにふさわしい待遇は

それぞれの役割に応じて与えられなければならず

それは決して不平等にはあたらない。


やがて豚どうしの権力闘争でナポレオンが勝利し

独裁者のようにふるまいはじめる。


しかし他の動物は

おかしいと思いながらも巧妙な狡猾なナポレオンの支配にはまっていく。


動物たちにとっては

支配者が人間から豚に変わっただけであるばかりか

人間のとき以上に激しく抑圧される。


けれども

かつて人間に支配されていたころの状況を忘れてしまった動物たちは

変だとは思いながらも現状はあのころよりもよいのだと思い込まされる。


やはり善良であっても無知であることすぐに忘れてしまうことは

罪とまではいわなくても害であるのだろうか。


それに知性があったとしても

何も行動しなければ

無知であるのと同じなのだろうか。


はたして

懸命に動物たちのために働く馬のボクサーは気の毒な存在だったのだろうか。


この物語にボクサーが登場する意味は深そうだ。


社会主義だか共産主義だかそのへんの違いはよくわからないのだが

そういう系統だけではなく

資本主義とか自由主義とかそういう系統でも

この寓話のような事態はあちらこちらで起こっているのだろう。


なんとこの本が出版されたのは1945年。


日本が焼け野原だったときに英国ではこのような本が出版されていたのだ。


ぼくが読んだのは

開高健さんの訳だったからか

とても読みやすくなっている。


もしかしたら原文の空気感を重視してかなり意訳しているのかもしれないが

とても興味深くおもしろい作品だ。






――動物農場――

ジョージ・オーウェル

訳 開高健