うすうす気づいていたけれど
空気ってこわい。
ここでいう空気は
酸素や窒素や二酸化炭素のことじゃない。
時代とか場とかの空気のこと。
内田樹さんの編による
“街場の憂国会議 日本はこれからどうなるのか”
に寄稿している
中島岳志さんの
“空気と忖度のポリティクス――問題は私たちの内側に存在する”
を読んだらますますそう思う。
権力が直接介入していないのに
現場が空気を読んで独自に忖度する
っていうのがリアルでおそろしい。
そう
こんなことをやったら
世間から批判されるだろう
とか
政府ににらまれるだろう
とか
トップのご機嫌を損ねるだろう
とか
勝手に現場が忖度するってよくあること。
で
当の世間や政府やトップは
現場がそんなことをしているって知らなかったりして。
まあ
自らの影響力を知ったうえで
知らないふりをしている場合もあるだろうけど。
あとになって
あの判断は誰がしたの?
ってなっても
結局空気の仕業なので
責任者が特定できない。
そしてうやむや。
カフカ作品みたいな世界。
ぼくのまわりでもそういうことってよくある。
なんであのときそれを言わなかったの?
って責められても
だってあのときにはそんなこと言える空気じゃなかったじゃない
って。
中島さんはいう。
空気に水を差すことが必要だ
と。
得体の知れない
妖怪空気
に対抗できるのは
妖怪水差し
なのだ。
熱狂している祭りに水を差すのは
相当野暮だと罵られるだろうが
勇気を持って水を差すこと
そして
水を差したものを周囲は攻撃しないこと
っていうのがおとなの作法だろう。
天邪鬼な同志よ
あらゆる場所でどんどん水を差して
妖怪空気を退治せよ。