川上未映子さんの8月22日のブログの文章が
とてつもなく興味深いので
宣伝しておく。
そのタイトルは
いちおうリンクを貼っておくので
ジェンダーに興味のある方は
お読みになればいかが?
川上さんのちいさくともおおいなる挑戦に
エールを贈りたいが
はたして保育園の女の子の保護者がどうとらえるか
いくばくかの不安も抱いているぼくなのであった。
ところで
川上さんの文章はブログで直接ご覧いただくとして
ここではその文章のなかですこし触れられていた
「ある」と「ない」
について考えたい。
「ある」と「ない」。
「ある」は「ない」に比べて優位にあるものかどうか。
「ない」よりも「ある」方が
一般的にはよろこばれることが多いような気はする。
けれども「ない」ことがうれしいことだってあるんじゃないか。
いちいち列挙はしないけれども
「ある」と「ない」は必ずしも優劣がつく問題ではないだろう。
そもそも
「ある」は「ある」んだからわかりやすいのだが
「ない」は「ない」んだからそれを説明するのはきわめてむずかしい。
「ない」の存在をつかまえることから始めなくてはならない。
しかし
「ない」の存在をつかまえたら
その時点で「ある」になってしまうのではないか。
さらに
「ない」が存在した時点で
「ある」になってしまうのではないか。
禅問答のようになってきた。
「ない」を「無」と置き換えるのは
いささかおおげさな気もしないわけではないが
「無」について語るのはきわめて困難であるので
「ない」を反転させて
「ある」にしたうえで
ものごとを捉えるのがよさそうだ。
唐突かもしれないが
宇宙のはじまり
について考えるのもその手法になるだろう。
川上さんのチャレンジも
そんなところにつながっているのではないだろうか。