自分の周囲だけ重力が強いのではないかと疑いたくなるほどに重たい身体を引き摺りながら夕暮れのまちの駅に降り立つ。
このところ身の回りで起こることどもは徒労に徒労が積み重なるようでやがてここに徒労の塔が建つのに違いない。
よくもまあこんな状態で生活が荒むこともなく几帳面に毎日を生きているなと我ながら苦笑する。
苛々が募れば人の世はちょっとしたことで衝突に繋がる。
ゆとりのある穏やかな人たちで構成される群衆と、生活に追われて視野が狭くなった人たちで構成される群衆では、感じる気配がまったく異なる。
この駅にたまたまいま居合わせた数百の人たちは果たしてどのような気分の人たちなのであろうか。
改札を抜け階段を降り地下の駐輪場に向かう足はやはり重たい。
靴の底に磁石のN極が、通路や階段にS極が埋め込まれているようだ。
これをうまく活用すればリニア・モーター・カーの原理で軽々と進むことができるのではないかなんて考える余力はない。
頭の中に鉛が詰まっているのではないかと感じるほどに鈍い。
もうこんな調子になって何週間が過ぎたのだろうか。
いや実際はそんなに何週間も続いていなくてせいぜい数日のことなのかもしれない。
けれどもいまは気軽だったときのことを思い出せない。
そんなふうに思考も肉体も地面へ地面へと沈んでいるときには空を見上げることなんて忘れてしまっている。
だから愛車にまたがって駐輪場を出た瞬間、西の空に白く流れるものが目に飛び込んできたときには思わずはっと息を飲んだ。
空に流れる星か。
束の間そう感じたものの落着いて考えるまでもなくこの空のあかるさであんなにもはっきりと星が流れているはずがないと思いなおす。
ではこれは何か。
飛行機雲である。
しばらく眺めていると飛行の角度の関係か、その尾は最初は長く、だんだんと短くなっていく。
西に向かって左斜めに流れているので空港に着陸しようとしているのだろう。
丘の上のコンビニエンス・ストアに自転車を停め偶然めぐりあった飛行ショーに見入る。
気が付くと、飛行機雲の数が2つになっていた。
最初の飛行機雲が点になったころには5つくらいの飛行機雲が空港に向かって放射状に流れていた。
夕暮れの着陸ラッシュなのかもしれない。
長らくこの道を通っているが、こんな景色に気づいたのは初めてだ。
西の山の稜線の付近から空がだんだん紫色に染まってくる。
そこから視線を少しずつ上げていけば紫から水色への完璧なグラデーションがひろがっている。
自然が織りなす色彩のうつくしさ。
そこに流れるのは人工の機体が創り出した飛行機雲の5本の線。
東の空はすでに夜の闇に覆われ始めている。
コンビニエンス・ストアの前でたむろしていた帰宅途中の高校生たちがそろそろ解散するようだ。
わたし、今度こそダイエットするねん。
あんた、いっつも食べてからそれゆうてるなあ。
しゃあないやん、食べたいねんもん、でも誰かダイエットにつきあってくれへん?
いいよ、つきあったげるよ、はははは。
彼女たちはいまこの空で起こっているショーとは無関係にしあわせそうだと思うのはぼくの想像力の欠如のせいか。
着陸ラッシュの時間帯が終わったのか、最後の飛行機雲が点になって消えたのを見届けてからぼくは再び愛車にまたがった。
そして坂道をくだっていく。くだっていく。