Kはいつもどおり銀行へ行く。
なにごともなく仕事が終わって、ふだんなら同僚と飲みにに行くか、エルザという女のところに行くかするところを、今朝の混乱を整理するべくまっすぐに住まいへ帰ることにする。
下宿の管理人たるグルーバッハ夫人に今朝の混乱の弁明を試みる。
しかし弁明とはなにか。
あの混乱はまったくKのあずかり知らぬ要因により引き起こされたのではなかったか。
しかしKのなかではいつの間にか、あの混乱のほんの一部は自分のせいではないか、あるいはあの混乱と自分は関わりがあるのではないか、という考えが根付き始めていた。
危険な流れである。
こうしてひとは、知らぬ間に流れに飲み込まれていくのである。
単純なグルーバッハ夫人はKの混乱をおもんぱかって今朝の話題を避けようとするが、Kの方からその話題を出すや否や、あの逮捕についての自分の考えをとうとうと述べ始める。
――なるほどあなたは逮捕されました、しかし泥棒がつかまったのとはわけが違いますからね。泥棒みたいに逮捕されたんなら、たしかに悪いことです、しかしこの逮捕は――。なんていうか、なにか学問めいたことのような気がするんですよ、ばかなことを言ってるんだったらごめんなさいね、ともかくわたしにはね、なにか学問めいたことのような気がするんですよ、なぜそう思うかわからないし、またわかる必要もありませんけど。
グルーバッハ夫人は、銀行でそれなりの地位にあり、また、自分に幾ばくかの金を用立てしてくれているKに対して応分の気遣いを見せつつもそんな意見を述べる。
Kはそんな彼女に握手を求めるが、管理人は握手のことなど気づかないようにこう続ける。
――どうかそんなに事を重大にとらないでください、Kさん
Kは一連の出来事を重大だとは思ってもいないし、また逮捕そのものが馬鹿げているとも思っている。
それに同意してもらいたいがためにわざわざ話をしに来たのである。
にもかかわらず、グルーバッハ夫人はあたかも逮捕は現実のことであるというように話している。
Kはそもそも彼女に同意を求めたことを無意味だったと反省し、話題を変えようと、今朝、監督官が使っていた隣室の住人、ビュルストナーは戻っているかと彼女に尋ねる。
すると、ビュルストナーの帰宅がいつも遅いことを批判するグルーバッハ夫人。
それに不快感を覚えたKは捨て台詞を残して自室に戻る。
眠れずに無意味な考えをめぐらすK。
やがてビュルストナーが帰ってくる足音が聞こえ、深夜であるにもかかわらず、話しかけずにはいられなくなったKはビュルストナーに声をかける。
それまであいさつ程度しか交わしたことがないのに。
不審がりながらも話を聞くビュルストナー。
Kは今朝の様子を彼女に伝える。
きかされなければ何も気づかないように部屋は片づけられていたのに。
いや、黙っていてもいずれおせっかいでおしゃべりなだれかからことの次第をビュルストナーはきかされるのかもしれない。
逮捕されたことを伝えるとまさかと驚くビュルストナー。
――じゃあなたはぼくに罪がないと信じているんですか?
――さあ、罪がないといっても……重大な結果をまねくかもしれない判断を、いますぐ言いたくありません、あなたのこともよく存じ上げないし、でも、調査委員会が押しかけてくるようじゃ、それだけでもう重大な犯罪人なんでしょうね。
ビュルストナーは知的で活発な女性らしく、いっしゅんはKの話に興味を抱くが、Kが今朝の様子を再現し始めると、隣室にいる管理人の甥の大尉を気にして止めようとするのだった。
それでも、今朝の混乱にこの部屋を巻き込んだことを詫びるていで、その実、自らに突然降りかかった不可解な逮捕について、ひとに何らかの見解をききたいと切望するK。
あるいは異常な逮捕という事件に遭遇したことによる興奮が、かわいらしく聡明で快活なビュルストナー嬢への好意へと奇妙な転換を遂げたのだろうか。
異常な場面で女性に恋することはしばしばあることだ。
最後には疲れてぐったりとしたビュルストナーにキスの雨を降らせて自室に戻るのであった。
ってなんだこりゃな流れなのだが、これがまた、独特の緊張感をともなうリアリティでもって、で同時に、矛盾するようだが切迫感がまったくないという、この不思議な文章。
最初の逮捕が無意味であったとしても、ビュルストナーへのキスによってKはやはり逮捕されるのではなかろうか。
Kはすでに平凡な銀行員ではなくなっている?
異常な逮捕が異常な展開を生む緊張と、それとは無関係であるかのようにある種ののんきさを含みながら進むこのやりとり。
もはやKはこの逮捕を自分のこととして引き受けているのか?
――審判〈グルーバッハ夫人との会話・ついでフロイライン・ビュルストナーのこと〉――
フランツ・カフカ
訳 中野孝次