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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

胃が痛い。ちぎれるように痛い。

いや、短絡的に痛むのが胃であると決めつけるのは早計だ。

もしかしたら腸かもしれない。

あれ? 腸っていっても小腸とか大腸とか十二指腸とか盲腸とかあるんだっけ?

まあどこだっていいや、とにかくお腹が痛くて痛くて仕方がないのだ。

でもまあ、医者に行って診察してもらうときに、お腹が痛いです、っていうのもこの歳でなんだかあれだな。

ちょっと調べていくか。

なになに、食道から順に、胃、十二指腸、空腸、回腸、盲腸、上行結腸、横行結腸、下行結腸、S状結腸、直腸と経て、肛門に通ずると。

ふむふむ、人間の腸は全体で7~9メートルとな。

ああ、そんなに長いとどこがどうとか調べるのってたいへんそうだな。

そもそもこんなの覚えられないしな。すぐ忘れるに違いない。

こどものころ、何度も人体図みたいなのを見たはずだが、どの臓器がどこにあるかなんてまったく覚えられなかったしな。

おとなになったいまでもよくわかっていないから、たまに人体図なんかを見る機会があると、えっ、そんなところにそんな臓器が収まっていたの? なんてぎょっとすることがあるもんな。

自分のからだなのにそんなにわかってなくてもいいのか? とも思うけれども、乗ってる車の仕組みだってわかってないんだから、まあしゃーない。

胃が痛むと、いや、胃じゃないかもしれないんだけど胃っていう方が音の響きとしてしっくりくるのでここでは胃から直腸までを包含して胃っていうわけなんだけど、そんな胃が痛むといつも思うことがある。

――胃とは自転車のタイヤのチューブのようなものである。

格言っぽくいってみたが、胃は、自転車のタイヤのチューブのように、老朽化によってぼろぼろになっていくのではないか。

人間の細胞は新陳代謝を繰り返し、常にあたらしく生まれ変わっているとはいうものの、生まれたての赤ん坊と寿命間近のお年寄りではそのスピードには差があるはずだ。

したがって、再生能力が衰えるにしたがって、胃は自転車のタイヤのチューブのようにぼろぼろになっていくのだ。

自分の体内にあるぼろぼろのタイヤチューブ。

想像しただけでぞぞぞっとする。ぞ、を3回繰り返すほどぞっとする。

そこで考える。

iPS細胞でしたっけ? 再生医療? なんだかそういう先端技術で、自分の細胞から臓器が作り出せるかも、って話、すごくいいじゃない。

だって、他人の臓器だと、型が合わないとかで拒絶反応が起きるから、滅多にいない型の合う臓器提供者が現れるのを待たなければならないらしいじゃない。

自分の細胞から作ったんなら型はばっちり合うんでしょ?

そもそも他人の臓器を自分のからだに入れる、ってちょっと重い決意がいるというか、自分で理解できる倫理的な問題の範疇を超えているというか。

で、まあ、そういう先端技術でもって、あらかじめ自分の胃を作っておいて、調子が悪くなったら交換する、みたいな。

どうよ? いいと思わない?

もしそうなら、胃だけじゃなくて、ついでに他の臓器、心臓とか腎臓とかも作っておいたらいいかもね。

ええい、いっそ、自分をまるごと1体作っちゃおう。

それなら、どこかが悪くなったときに、すぐに取り換えられるからな。

でも、それぞれの部分で交換の頻度が違うかもしれないから、10体くらい作っておいた方がいいかな。

1回しか交換できないっていうのもなんだしな。

ああ、いいなあ、これでもしかしたら、不老不死を手に入れることが出来るかもしれないぞ。やったー。


そして、世界は、たくさんの一部を失った再生人間の処分方法に困る時代がやってくるのでした。

ホルマリン漬けの、一部を失った私のプール。