年末年始の休暇中、ちょっと、っていうかかなり、食べ過ぎたようだ。
食べ過ぎのうえに動かなさ過ぎるものだから、お腹なんて目で見てわかるくらいの膨らみようだ。
そろそろ節制を始めなければ、この状態が固定化しかねない。
いかに節制するか。
そうだ、カフカさんの“断食芸人”を読もう。
初めて読んだのは数年前だが、以来、もう何回か読んでいるのに、まだ記事に書いていないことにも気づいた。
ちょうどいいだろう。
文庫で30ページにも満たない短編である。
カフカさんは、“城”や“審判”などの長編も独特でおもしろいのだが、“変身”をはじめとした短編には、そのエキスが凝縮されているようで、そのひとつひとつが非常に意味深長だ。
そもそも「断食芸人」ってなんだ?
断食っていうのは、修行じゃないのか?
あるいは抗議の手段とか?
はたまた、いましがたのぼくのようにプチ断食などと称してダイエットの方法として採り入れるひとも多そうだが?
はたして断食が芸になるのか?
なっていたのである。
ほんとうかどうかはともかくこの作品のなかでは。
しかも過去形で。
この作品のなかですら、断食芸は廃れていくのである。
かつて、ひとびとから賞賛と驚嘆さらにいくばくかの疑念を浴びながら続けた断食興業。
プロモーターと一緒にヨーロッパを巡る断食芸人。
断食芸人が感じる断食による苦悩と愉悦とは?
そして断食芸人はなにゆえに断食をおこなうのか?
ラストで明かされるその理由に、読者は唖然とする。
ああ、そういうことか。
断食芸人の不条理さと対照的な豹の健全。
誰からも理解されなくても、さらにおおきな誤解を受けたとしても、断食芸人自身が満足しているならそれでいいのかもしれない。
ぼくの個人的な感じ方では、昨今の不穏な社会情勢にあって、カフカ作品はこれからますます注目を浴びるようになる気がする。
さらに、今後、カフカ的作品を描く作家も増えそうだ。
カフカ読みの本好きさんが、もっと増えることを想像してほくそえんでみる。
なお、カフカ作品は、ユーモア小説としての読み方もあることを頭の隅に入れながら読むことをお勧めします。
――断食芸人――
カフカ
訳 山下肇・山下萬里