特に印象に残った本 2013 | (本好きな)かめのあゆみ

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

ここ最近ではめずらしく、ひじょうにおだやかな心境で迎える年の瀬。

しかしそれはあくまでも個人的なことで、世間では不穏な空気が少しずつ広がっているような気もする。

だが、それでもたまにはこういう気持ちで一年を締めくくることを許してもらってもよいのではないだろうか。

今年の初めは、近年にない不安を抱えて迎えた。大丈夫だろうかと、おそれおののいていた。けれどもどうにかそのハードルはクリアできた。

よくいわれる話だが、人間万事塞翁が馬、禍福はあざなえる縄のごとし。

ついつい、いまの状況が今年のすべてであったと錯覚してしまうが、一年を通してずっと悪かったとか、逆にずっと良かったとか、そういうのはあまりないことだと思う。

いまの状況が悪いひとも、一日一日を丹念に振り返れば、いいことと悪いことのつづれおりだったことに気づけるのではないか。

 

 

 

今年、特に印象に残った本を思い出してみる。

 

 

 

 

★最もことばの限界を知らしめられ、かつ、コミュニケーションの可能性に気づかせられたのは

 

奥泉光さんの

虫樹音楽集

 

ことばは最強のコミュニケーション・ツールだと思っていたが、それは驕りだった。

 

ことばは、無限に存在するコミュニケーション・ツールのほんのわずかな一部分に過ぎないと気づかせられた。

音や光や痛みや味や匂い。

それらすべてが、誰かと誰か、なにかとなにかを結びつける手段だったのだ。

そしてそれは、いまそれと認識しただけで、経験的には生まれたときから知っていたことなのだった。

 

★最も人間の閉塞感を打ち破るあたらしい価値観を示してくれたのは

 

平野啓一郎さんの

空白を満たしなさい

 

個人主義にかわるあり方として平野さんが提唱している分人主義を小説に取り込んだもの。

 

ほんとうの自分はひとつじゃない。

つきあうひとの数だけ、属する集団の数だけあってもいいじゃないか。

それらの集合体としての自分。

たとえば仕事で上司とそりが合わなかったとしても、それは自分のほんの一部分でしかない。

なにかひとつがうまくいかないだけで全否定してしまいがちの自分という存在を、ゆるやかに解き放ってくれるやさしい考え方だ。

 

★最も永くて神秘的な時間と人間の営みの世界に迷い込ませてくれたのは

 

G・ガルシア・マルケスさんの

百年の孤独

 

言わずと知れた名作との呼び声が高かったものの、これまで読む機会がなかった作品。

 

ようやく読めた。

結構たいへんな読書だったけれども、やっぱりさすがにその構築された世界観は圧倒的だった。

蛇足だが、アウレリャーノ・ブエンディーア大佐の脇の下のリンパ痛が妙に印象に残っていて、思い出すたびに脇をあけてしまう。

 

★最もその巧みな構成と洗練された文章そして奇抜なアイデアに驚いた短編は

 

芥川龍之介さんの

二つの手紙

そして

太宰治さんの

待つ

さらに

安倍公房さんの

公然の秘密

 

短編には、小説家の技量と特徴が怖いほどにあらわれている。

 

ストーリーだけに頼るやわな作家にはつらいジャンルである。

もちろんこの三作品は、どれも決定的に魅力的だ。

 

★最も読書の醍醐味を楽しませてくれたのは

 

ロバート・キャパさんの

ちょっとピンぼけ

沢木耕太郎さんの

キャパの十字架

 

ちょっとピンぼけを読んでいて、キャパの生き方のあまりのかっこよさに憧れつつも、なぜこのように死にたがりであるかのような危なっかしい行動をとるのかっていうことに疑問を感じていたのだが、その疑問がキャパの十字架での大胆な仮説によってうなずけたような気がする。

 

自伝的ノン・フィクションとルポルタージュのうつくしい化学反応。

こういう連鎖が読書の贅沢な愉しみなのである。

 

★最もお気に入りの読書の時間を提供してくれたのは

 

川上未映子さんの短編集

愛の夢とか。

 

表題作の

 

愛の夢とか

のほか

日曜日はどこへ

お花畑自身

十三月怪談

 

どの作品も日常とそれに隣り合わせるここではないどこかへぼくたちを連れ出してくれる不思議な物語だ。

 

読み終えてここへ帰ってきたときには、日常がそれまでとは違った光をみせる。

 

そして、愛の夢とかで谷崎潤一郎賞を受賞した未映子さんの記念講演

 

「物語と『前の日』」

 

そこで未映子さんに直接質問する機会に恵まれた幸運。

 

忘れません。

三月の毛糸

はぼくにとってとてもたいせつな作品になりました。


★最も痛快に女性の生き方のイノベーションを提案してくれたのは

上野千鶴子さんと湯山玲子さんの

快楽上等! 3・11以降を生きる

 

女性のみならず男性にとっても目から鱗が落ちる対談。

 

オヤジがつくったルールにのせられて競争させられる女性たちの葛藤。

もちろんそこでは非オヤジの男性も犠牲になっている。

承認欲求という病の話もおもしろかった。

ちょっとエロい「光合成」の話とか、女性があえて女性性で武装する「女装」とか、そういう新機軸を得て、女性よ、男性よ、既得権益を握るオヤジ社会に抵抗せよ!

 

★最もはんなりと京の舞妓文化に触れながら人材育成の本質を教えてくれたのは

 

西尾久美子さんの

舞妓の言葉


電信棒見ても、おたのもうします

座ってるのも、お稽古

言うてくれはる、見ててくれはる

姉さんが言わはる前に、うちが気がつかんと

 

なんだかすごく印象に残っています。

 

わかものは育ててこそ未来の社会の活力になります。

使い捨ての時流はもう終わりにしなければ。

 

★最も自分の範囲を広げてくれたのは

 

内田樹さんの

修行論

 

直線的に数値で測ることができない修行の成果にだけ、人間があらたなステージにステップ・アップするためのブレーク・スルーのチャンスが与えられているのだ。

 

なんでも数値に置き換えて満足する世間の風潮にいいかげん嫌気がさしているぼくはおおいに共感。

脱・見える成果主義。

 

 

 

かなり絞ったのだが、それでも結構な数になってしまった。

 

 

 

ほかにも思い出深い作品はたくさんあったけれど、泣く泣くここではこれだけにしておく。

 

世界中には、貧困のせいで1冊の本も読むチャンスがなかったり、政治的な制約で読むことが出来ない本があったりするひとがたくさんいるだろう。

 

ぼくは、ぼく自身が望めば、よほどの稀覯本でない限りそれを読むことができる。

さきほど、世界中には、と言ったが、最近の日本でも、貧困や家庭環境のせいで本を読む機会を得られないこどもやおとなも増えてきているに違いない。

彼の地のひとびとは読みたい本を読むことができているだろうか。

また、彼の地に限らず、哀しみや苦しみや悩ましさに打ちひしがれているひとびとに本を読む気力は残されているだろうか。

本の中だけが世界ではないし、本の外にこそ現実があるのだというのもその通りだが、それでもぼくは、本を通して世界の見方を広げてきたし、これからもそうしていきたい。

作品を書いてくれるひと、作品を出版してくれるひと、作品をぼくたちの手元まで届けてくれるひと、本にかかわるすべてのひとと、ぼくが本を読み続けられる環境を与えてくれるすべてのひとに感謝しながら、来年も心ふるわせる作品との出会いに期待したい。

ぼくの拙い、そして自分勝手な読書記事にお付き合いくださったみなさん、どうもありがとうございました。

みなさんとともに、来年も素敵な読書の時間を過ごせますように。