人生は幸福を集めてつくられています。
嘘。
よいことばかりで人生ができているわけではない。
年の始めには胃が痛くなるような仕事が舞い込み
その後ひたすら右往左往と振り回された1年。
とはいえ
全体としてみれば決して悪くない1年だった。
ある意味ここ数年の集大成的な年でもあった。
そんなぼくのそれなりの充実とはうらはらに
世間は巧妙にかつ無自覚的に不穏な方向に進んでいる。
警告音が常に鳴りっぱなし。
ヤバイヤバイヤバイ。
きっと心配性ゆえの杞憂ではない。
今年、特に印象に残った本を思い出してみる。
★最も深く読んでみようと試みた作家さんは
フランツ・カフカさん。
山場である
大聖堂にて
を前に記事は止まってしまっているが
今年は
審判
を深く読んでみた。
やはり世界がこの作品のなかに凝縮されている。
特に2014年の日本で暮らすぼくにとっての世界。
得体の知れない空気によって絡め捕られるぼくたちの自由。
ほかにも
を読み返した。
どれをとっても寓意に満ちている。
寓意とはすなわち人間世界の真理を
高い純度で抽出したもの。
★最も現代のアメリカ文学っぽい雰囲気を感じさせてくれたのは
ミランダ・ジュライさんの
と
ネイサン・イングランダーさんの
どちらの短篇集にもある種の屈折した独特の知性が感じられる。
技巧に凝り過ぎて迷走しているというのではなく
知性が先に立ち過ぎているというのでもなく
冷徹に客観的に現代人の心理や問題を紐解くと
こういうことになるのだということを感じる。
特に
アンネ・フランクについて~
に収められている
姉妹の丘
と
若い寡婦たちには果物をただで
は名作だ。
★最も世界レベルへの可能性を感じさせてくれた日本の作品は
中村文則さんの
実験的で挑戦的な短編集である。
社会的背景としての普遍的苦悩を世界と共有しない日本の作家が
創造力と技巧だけを武器にしてどこまで世界に近づけるか。
まだほんの入り口に立ったに過ぎないかもしれないが
これからに期待を抱かせてくれる。
★最も未来のイメージを通して現在を見させてくれたのは
伊藤計劃さんの
人間は進化するんじゃない。
いきあたりばったりに
その場しのぎに
変化を続けているだけだ。
飼い猫の管理された幸福より
野良猫の痛みを伴う自由を。
★最もシニカルに人間社会を切り取ってくれたのは
ジョージ・オーウェルさんの
スターリン時代のソ連をイメージさせつつ
動物たちが陥る滑稽な社会の矛盾は
実はどの世界にもあてはまる恐怖なのだ。
無知で素朴な従順がもたらすもの。
それは権力者のほくそ笑み。
斜に構えよ
裏側を見よ
天邪鬼たれ。
オーウェルさんの作品はこのほか
開高健さんが激賞の
も読むに値する逸品。
支配する者とされる者との
皮肉な相関関係。
来年は
1984年
を読むつもりで手元に積ん読中。
関連して
近未来の禁書社会を描いた
レイ・ブラッドベリさんの
もいま読まれるべき古典的名作。
★最も大いなる存在を感じられたのは
パウロ・コエーリョさんの
砂漠の砂の一粒も
広大な宇宙も
同じ大いなる手によって書かれている。
魂の素粒子を思わせるその記述。
少年よ、少女よ
書物と対話せよ
ひとに教えを請え
現実から学びとれ
★最もこれからを期待したいあたらしい日本の作家さんは
小山田浩子さん。
短編も含めてどの作品も
不可解な不条理と
不可思議なユーモアと
そこはかとない不穏と
現代的な不安
が感じられておもしろかった。
短い作品まで感想を書きたくなる作家さんは珍しい。
カフカさんやゴーゴリさん、安部公房さんが好きなひとならきっと気に入る。
★最も妄想力を刺激してくれたのは
西加奈子さんの
と
島田雅彦さんの
どちらもポップで読みやすいが
それでいて少しねじれている感じがして
極々微量の毒が含まれているところがいい。
西さんは来年
さらに人気作家の道を駆け上がりそう。
★最もこの国のいまのかたちを考えさせてくれたのは
内田樹さん編の
どの筆者の見解も興味深かったが
特に
高橋源一郎さんと
中島岳志さんの
論に共感した。
権力者が直接指示しなくても
それぞれの現場が関係者の意向を勝手に忖度することにより
なんとなく加速する自己抑制と権力追従。
最近いたるところで目にする現象だが
当人たちには悪気がないのが曲者。
きっと
戦争は一部の権力者の暴走のせいだった
なんて戦後にいうのは
こういう空気のせいだろう。
自戒を込めて。
★最もしょこたんの才覚を感じたのは
中川翔子さんの
しょこたんの
アニソンアカデミーでの進行力には常々敬服しているのだが
この本でその理由がわかったような気がする。
中川翔子さんは単なるかわいいアニオタではない。
言語能力が非常に高い。
それに加えて
他者に対するリスペクトの姿勢と謙虚さが
しょこたんの魅力を深めている。
しょこたんがしあわせになれますように。
購読している新聞の書評回顧に対して
購読者からこんなメッセージが届いていた。
今年の書評回顧には震災関連の作品が1点もない。
どきりとした。
何かを見透かされたような気がした。
書評回顧に違和感をまったく感じなかったからだ。
ぼくたちはやはりあの震災を忘れてしまったのだろうか。
しばらく悶々としていたがやがて気づいた。
いや、ぼくたちはあの震災を忘れていない。
忘れられるわけがない。
書評回顧に掲載された作品には
直接的にではなくても間接的に
あの震災が影響しているに違いない。
あの震災が作家に与えた影響は
計り知れないはずだからだ。
それは作家に限らず読者であるぼくたちも同じ。
作家の欺瞞を見破る視線も得ているはずだ。
ポーズではなく芯からあの震災を考えたかどうか。
ぼくたちが生きている今日という日は
あの震災が起こる前の日であるかもしれないという思いは
決して消えることはない。
無邪気でいられるぼくたちはもういない。
ぼくのこのことばが嘘であるとしても
明日は当然に約束されたものではない。
そんな得がたい1日1日を積み重ねて迎える年の瀬。
好きな本を読むことができるしあわせ。
せめていまだけでも厳かに感謝したい。
来年も読書好きのみなさまに幸福な読書の時間が訪れますように。