webで連載していた川上未映子さんの“きみは赤ちゃん”も先週でついに最終回。
といっても、受胎してから分娩するまでの“できたら、こうなった”編がおしまいということで、このあとに、赤ちゃんが生まれてからの1年間を綴る“うんだら、こうなった”編をいまから書き加えて来年には出版とのこと。
正直、連載初めは、未映子さんの出産の話なんてあんまり読みたくないなあ、出産をネタに文章を書くなんて、俗っぽすぎて、ほかのひとならともかく未映子さんにはやってほしくないなあ、なんて思っていたけれども、連載を読み進めて納得。
これはおもしろい。
最終回の末尾に未映子さんがみずから書いているように、この手の話を書くにはいろいろな配慮や、さまざままリスクがあるけれども、それを承知のうえであえて書き残したとのこと。
ぼくはこの連載まで、無痛分娩なるものを知りもしなかったが、このことばを知ってからは、意外と世間に広がっている、というか関心を持たれているということがわかった。
つい先日も職場の新人の女性が、私は将来無痛分娩でこどもを産みたいんです、ってどういう話のいきさつだったか覚えていないけど、そういうことを言っていたので、彼女にこの連載を紹介しておきました。
で、やっぱり小説家にはいろいろなエピソードが降ってくるというかなんというか、出産の痛みをネタに文章を書くなんてそんなせこいことはしたくないからと選んだ無痛分娩であるにもかかわらず、結局、最後は想定外の事態になってしまうという、もうなんだかなあな展開。
もちろん、未映子さんならではの、命を生むことへの哲学チックな思索も魅力的で、ぼくもおおいに共感するのです。
そう、命をこの世に生み出すというのは、いかにおおそれた、おっかない、抜き差しならないことか、っていう。
既婚、未婚にかかわらず、望んでようやく授かった、はまだしも、うっかりできちゃった、なんてどうかしている、とこれはあくまでもぼくの考え。
もちろん、人類の歴史なんて、できちゃったことによって連綿と続いてきたともいえるのかもしれないし。
ぼくとしては、冒頭に未映子さんがいっているように、こと出産については、男なんて完全に部外者というか、蚊帳の外というか、意見をする権利を有していないことを再確認した次第です。
男はいかにして女性をサポートするかを考え行動せよ、と。
要は、いらんことをいわんと女性を誠心誠意いたわれ、っていうことですね。
違うかな?
それと、出産に関する女性どうしの価値観の相違によるせめぎあい(“お腹を痛めてこその愛情”信仰とか)、みたいなものの存在も知りました。
まあ、女性どうしのせめぎあいっていうのは出産の問題だけじゃありませんけど、そういう対立が男性社会に利用されないことだけはお祈りします。
世にあまたある出産育児経験本には興味をまったくそそられなかったぼくではありますが、“きみは赤ちゃん”が出版されたら、ぜひ続きを読みたいと思います。
――きみは赤ちゃん 第16回 なんとか誕生――
川上未映子