びっくりした!
エスカレーターで昇っていく夢。
ぼくも最近エスカレーターの夢をみたばかりだったので。
っていってもぼくは降りだけどね。
夢の話はしばしばリビドーと結び付けられるので、ひとに話すときは気をつけなければいけません。
思わぬ欲求がばれて赤面ものになるかもしれませんからね。
ところで。
急におとなの物語になってきたなあ。
第1巻の感想で、おとなになると失うものがある、こどもの方が優れていることだってある、というようなことを書いたけれども、しかし、やっぱりおとなってかっこいい。
これって、積み重ねた経験や時間、失ったものの重さ、そういうのがないとどうしても醸し出せないんだよね。
後藤はオレさま系のナルシストで恐いけど、スミスとの戦いのあとのひとことがなんとも渋い。
このひとも結局将棋に魅入られているのか。
スミスもほんとうにいいやつだなあ。
そしてこの巻で誰よりも気になるのが島田八段。
かっこいい、かっこよすぎる。
あの落ち着き、あのひょうひょう、けれども勝負にかけるあの執念。
あんな感じはぼくの目標とするところだな。
香子と後藤の関係ってなんなんだろう?
不器用なやり方でお互いの傷を慰めあっている?
後藤は過去に幸田父に何か嫌な目にでも遭わされているのだろうか?
零くんの挫折と気付きは心に沁みます。
なんだかんだいって結局は自分のことしか考えていなかったこと。
自分の孤独に気をとられて誰かの孤独のことなんて考えていなかったこと。
あたたかいこたつに留まることだってできるかもしれないのに、まずはひとりで立つことに決めること。
目の前の相手の力量を測れない自分の浅はかさを恥じること。
落ち込み方さえ下手なこと。
若さゆえの視野の狭さと自分で思い描く全能感の錯覚とに気付き、先駆者たちが立つ場所に向けて自分の非力を認めて教えを請うこと。
誰かに頼ることは決して弱いことではないこと、そして誰かに頼らないひとには別の誰かも頼れないということ。
零くんのなかの獣が騒ぎ、人間が生き直そうともがいている。
関係するひとたちに支えられながら。
実にあたたかくてきびしくてやさしくて孤独な物語だ。
――3月のライオン(3)――
羽海野チカ