怪奇現象あるいは我が錯乱 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

ある午前、コーヒーショップで読書をしながらカフェラテを飲んでいた。


通りを見下ろす2階の、円弧を描く窓際の席。


外は雨。傘をさす人々の行き交う姿はまばらだ。


こんな雨の日にこの人たちはどこから来てどこへ向かおうとしているのか。


カラフルな灰色の窓の外からすすけた茶色の本のページに視線を移し、南米コロンビアの一族の世界に出かけていると、ページの外から人の話し声が聞こえてきた。


さりげなく周囲を見渡すと、ぼくの席の周囲はおひとりさまの客ばかりで、誰かと話すような気配はどこにもない。


にもかかわらず、その話し声は1メートルも離れていない至近距離から聞こえるように鮮明だった。


男性の落ち着いたバリトンボイス。


いわゆるいい声。


ぼくの隣は女性なので声の主ではない。


前の席にひとりの男性がいるが、彼の背中がみえるだけで連れはなく、そして携帯電話で話している感じでもなかった。


けれども左耳にイヤホンをしている。


もしかするとハンズフリーで携帯通話している?


それなら話し声の理由もわかる、と納得しかけたところで、こんどは男性と話す女性の声が聞こえてきた。


あれ、ハンズフリー機能じゃないの? この男性の話し声じゃないってこと?


あらためて周囲を見渡すが、近くには男女が話しているような姿はない。


それにしても周囲のほかのお客さんにはこの話し声が聞こえないのだろうか、なにごともないようにそれぞれがそれぞれのやりたいことをやっている。


本を読んだり、何事かをノートに書きつけたり、書類をまとめたり、スマホに指を滑らせたり。


きょろきょろしているぼくだけが挙動不審。


後姿の男性が、ひとりごとを大きな声で言っているだけなら、ちょっと気まずいながらもそういう人もいる、と割り切れるのだが、話し相手がいる以上、彼ではない。


いや、待てよ。 後姿の男性は、なにやらパソコンのキーを叩いているようにも見える。もしかすると、テレビ電話で女性と話していて、パソコンを通して相手の女性の声が聞こえているのではなかろうか。


しかし、だとすると、左耳のイヤホンはどう説明する? 意味がないじゃないか。 まさか音楽を聴きながらパソコンのカメラの向こうの女性と会話しているとか?


だんだん混乱してくる。


もしかしてぼくの頭が錯乱していて、聞こえるはずのない声がぼくにだけ聞こえているのではないか、という気がしてくる。


だとすると重症だ。


ぼくにいったい何が起こったというのか。


そんなにショッキングなことが最近あったわけでもないのに。


疲れが溜まっているのかもしれないが、それでもこんな経験はいまだかつてない。


だんだん不気味な気分になってきたので、もう店を出ようとぼくは立ち上がった。


と、そのときぼくが目にしたものは。


10メートルくらい離れた窓際の席で会話する男女の姿。


座っているときには死角になっていた。


いや、でもいくらなんでもあんなに離れたところで話す会話のボリュームじゃない。せいぜい1メートルの距離である。


ところが、聞こえてくる話し声とその男女の口の動きが一致している。


まさか。


この円弧を描く曲面の窓の構造が、遠くの話し声をここまで届けたということか。


そう思えばすっきりできる。


周囲の人にはこの話し声が聞こえていないことにも説明がつく。


おそるべし、円弧の曲面の音響効果。


こうして、怪奇現象でもぼくの頭の錯乱でもないことがわかったので、ほっとしたのであった。


けれども。


もしも本当に、ぼくの耳にだけ聞こえていたのだとしたらそれは。