蹴りたい背中 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

勝手にふるえてろを読んでいてにな川のことを思い出したのでずいぶん久しぶりに再読。


綿矢さんが芥川賞を最年少で受賞して話題になった当時のぼくは、わかくてかわいい女の子がそれなりに上手に小説を書いたから話題になってるんでしょ、作品としてはまあわるくはないけどそんなにいいものでもないよね、なんてえらそうに感じていたものだが、読み直して反省する。


そしてこの作品を勇気を持って芥川賞に選んだ選考委員のみなさんの眼力に敬意を表したいとおもう、って芥川賞がそんなにすごいものというわけでもないのだろうけれども、話題性は群を抜いているので、これを受賞すれば作家は世間に知れ渡り、世に出る機会は圧倒的に増えるだろうからね、ってなんの話だっけ。


ぼくが権威といわれるものに弱いって話だっけ。


いやいや、綿矢さんの才能のことでした。


蹴りたい背中はなかなかやりますよ。


よくぞこれを19歳でものしたものだ。


人間の心情の描写が鋭い。


いま、をいきいきと文章に変換している。


いきいき、という単語には違和感があるかもしれない。


なぜなら登場人物のみなさんは、ことごとく地味でかつ世界に対してうまくなじめていないひとたちだからだ。


けれどもそれこそが、いま、のぼくたちそのものであることはきっとそうなのだ。


綿矢さんの作品(2作しか読んでないけど)にはドラッグとか犯罪とか不倫とかそういうのが出てこないところがまたいい。


それを否定しているのではなくて、そこに逃げない、っていう姿勢に好感をもつ。


誰にでもあるような意地悪な感じの表現が特に優れているように感じる。


にな川に対するハツの感情表現はまさに小説でなければ達成できなかっただろう。


そして一方的に観察者の立場に居ると信じていた自分が、実はにな川にみられていて、さらににな川から的確に分析されていたことを知ったときのハツの気持ちなんてよくわかる。


ぼくはもう、高校生のころのこころの機微のようなものを思い出すのが難しくなってしまったけれども、学校という特殊な環境って結構きついな、っていまさらながらに思う。


クラスなんてなくて、大学みたいに自分で科目を選択して、授業ごとに移動するシステムなら、授業と授業の合間の10分休憩の居場所づくりに悩まなくてもいいし、付き合いたくもないクラスメートとつるむ必要もないし、いいと思うんだけどな。


まあ、ひとそれぞれだと思うけど。


綿矢さんは、にな川とかイチとかそういう、周囲とは一線を画して自分の世界に引きこもっているひとを主要な登場人物においているけど、彼らに共感を抱いているのかな。


今回読み直して、にな川は意外にやるやつで、きっと学校を卒業したら社会では独自の成功を収めるタイプだと思えた、ってそれはちと買いかぶりすぎか。


なんだかわけのわからない感想になってしまったけれどもそういう感じで。







――蹴りたい背中――

綿矢りさ