カンガルー・ノート。
意味深なタイトルで何かの暗号とか作戦名とかかな?って思いながら読み始めるとなんのことはない。
いや、ぼくが気づかなかっただけで、やはり何か重要な意味があったり何かのメタファーになっていたりするのかもしれない。
ある朝起きてみると脛にかいわれ大根が、ってどこかで読んだことがある導入で、しかも輪をかけて奇天烈。
カフカさんの変身や、自らの砂の女の、不条理でありつつもある種のリアリティを伴う作品とは異なり、とことん奇想天外な成り行きで、ブラック・ユーモアで満たされている。
走るベッドとか賽の河原とか。
ときとして読書に非日常を求めるぼくとしては、こういうありえない不思議な展開は大好き。
起きてみる夢。
黒いユーモアも嫌いじゃない。
泌尿器科の看護婦、周遊電車ですれ違った少女、賽の河原で歌っていた少女。
彼女たちに感じるエロチシズム。
しかし主人公の脛にはかいわれ大根が。
おもしろがり、不思議がりながら最後まで読んできたが、フィニッシュで???????となる。
うん? どういうこと?
結局ぼくはこの小説の仕掛けを理解できなかったが、やはり一筋縄ではいかない作家だった。
ちなみに巻末の書評は、なんとドナルド・キーンさん。
――カンガルー・ノート――
安部公房