ETV特集 “ノンポリのオタク”が日本を変える時~怒れる批評家・宇野常寛~
昨夜、観るともなく観はじめたら、やめられなくなってとうとう最後まで観てしまった。
宇野常寛さん。
名前は知っていたけど、どんなひとかははじめて知った。
おもしろい。
ぼくの後輩にちょっと似ている。
頭の回転が速い。
プチ・オタク。
話しの途中でスイッチが入ると夢中になる。
何気ない会話なのに論理的。
意外なところでへこむ。
へこんだらダメージをかなり長くひきずる。
そして胃腸が弱い。
後ろの方はぼくの後輩のことで、宇野さんはどうか知らないけど。
テレビ画面から伝わってくる繊細さから想像するに、きっと宇野さんも胃腸が弱いような気はするが。
って男はだいたい胃腸が弱いけれどもね。
しかし熱いねえ。
ひょうひょうとしながらもときどきあからさまに怒ってるし。
若くて賢いひとで、怒っている人は最近ほとんど見かけないからね。
賢い人は、怒っても仕方がないあるいは怒れば怒るほど目的の達成が遠のく、って思ってるんだろうね。
だから、若者から絶大な支持を受けながら、その怒りだけは理解しがたいと言われる宇野さん。
しかしその怒りは普通に考えれば全うだ。
いわく、既得権益を保持するグループにたまたま入れず、その数倍もの能力と熱意を持ちながら社会に活かすことなく埋もれていく才能をたくさんみてきて、こんなのは許せない、と。
確かに。
そして、既得権益を保持するグループに対しては、それを守るだけでノスタルジーに溺れて斜陽ニッポンとともに滅びるよりも、わくわくさせてくれるような熱意と能力のある若者に賭けてほしい、という訴えにも正直さをを感じる。
いまの若者はバブル後の不景気のツケを払わされてきたから社会から支援を受けるのは当然の権利だ、とか、既得権益を保持するグループが不平等な立場に追い込んだ若者を支えるのは義務だ、なんて言わないところがいい。
ぼくも既得権益を保持するグループの端くれにいると錯覚しているしがない身ではあるけれども、宇野さんが責任編集する雑誌「PLANETS」をつくる場に参加している若者たちの熱い息吹を観ていると、なんだか期待したくなる。
若者たちが社会を変えようと熱く語る場面にはそれだけで涙がこぼれそうになる。
ほんとうはぼくも観客としてではなく、その渦中に入らなければならないのかもしれないけれども。
無論、彼らを応援することは、一方で自分の首を絞めるリスクも負うわけだが、ぼくなんてそもそも既得権益を保持しているのかどうかも疑わしい。保持しているから体制側につけ、と暗示をかけられているだけかもしれない。
できることなら、既得権益を保持するグループに囲い込まれているひとたちにとっても自由になるアイデアを考え出して、WIN-WINの構図に持ち込んでほしいがこれは甘い考え方か。
既存の枠組みの外側で成功することが、がんばっても豊かになれない世代へのエールになる、って自ら嫌いなテレビにも出て主張を続ける。
サブ・カルチャーを通じて軽やかに社会を批評する手法もぼく好み。
さて、今後の宇野さんは、いかなる戦略を持って社会を変えていこうとするのか、そしてそれに追随するひとは次々と世に出てくるのか。
あまり目立ちすぎると、既得権益を保持するグループはほんとうに恐いからね。
いまは引っ張りだこでも、一線を越えるとメディアからも抹殺されかねない。
時代のあだ花として散ったひとは数え切れない。
雑誌社のひとたちを集めた座談会みたいなので、いまの雑誌はわくわくしないので早晩なくなるとか、雑誌社の内側から変えるのは無理だから外側から壊さないと、とか挑発的な言動を繰り広げて、出席者から総スカンを食らっていたけれども、味方は多い方がいいので、既存の体制の内側からも外側からも、それぞれの立ち位置で、社会を変えていきましょう、ってメッセージにした方がいいと思う。
既得権益を保持するグループの内側にも、いまの社会はおかしい、変えたい、って思っているひとたちはたくさんいるだろうから。
過激な言動は注目を集めるのには効果的だけれども、できればルサンチマンに訴えるのではないやり方で進めてほしい。
矢面に立つのはつらい仕事だろうけど、ある部分ではきっと楽しいんだろうなあとも思う。
ぼくには真似ができないからうらやましくもある。
ところで、密着取材時に、パソコンで文章を作成する様子を撮影されることをとことん嫌がっていたけれども、その気持ちはわかる。
文章の組み立てや推敲の様子は、頭の中をのぞかれているようなものだからだ。