8歳の貴子と15歳の永遠子。
きこととわこ。
葉山の別荘の解体を前にして、25年後に再会する33歳の貴子と40歳の永遠子。
この小説の男はみな影が薄い。
この小説は女の世界だ。
男はこうで女はああだ、なんて類型化はナンセンスだけれども、それでも男に流れる時間感覚と女に流れる時間感覚は、おおきなところで別物だと思う。
この小説に流れるのは女の時間感覚、だと思う。確かめようがないのだが。
女の時間感覚といえば、たとえば、過去から現在そして未来へと一方向には流れていない、ような気がする。
いま、のあとに過去、がきて、瞬く間に、未来になる。
さらに現実と、夢と、記憶と、思い出と、空想と、希望と、妄想がごちゃまぜになって、ひとりの人間ではないみたい、といえばこれは言い過ぎか。
永遠子が夫と娘と携帯電話で話す場面と、貴子が葉山の別荘で夜を過ごす場面が好き。
やさしくたゆたう文章。
くせがなく抑揚がなくゆたゆたと流れる時間。
いや、流れているというより寄せては返す海の波のよう?
朝吹真理子さんはまだまだ若い作家だけれども、若さというよりもすでに力が抜けたベテランの筆の風情。
唯一、影の濃い男である、和雄がせめてもの現実らしさであろうか。
きこととわこのからまる髪。
満月のあとの細い月。
果たしてすべては夢だったのか。
――きことわ――
朝吹 真理子