なぜいまそれをいう | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

うーん。

このタイミングでこういうことをいうのは無粋だな。

でも思いついちゃったしな。

重大なテーマだからちょっとお口にチャックは難しいな。

ま、みんなテレビでも見てくつろいでるだろうからあんまりここを訪れる人はいないでしょ。

そういうわけでここだけの話ということで。


なぜ今日が2012年(平成24年)の最終日で明日が2013年(平成25年)の初日なのか。

明日である必然性はあるのか。


地球がほぼ1回転するのが1日。

月が地球のまわりをほぼ1周するのが1か月。

地球が太陽のまわりをほぼ1周するのが1年。


これはよし。

まあほかにも考え方があるのかもしれないがぼく的にはこれで問題なし。

すっきりとわかりやすい。


問題なのは1年の境目がなぜ今日と明日の間になければならないのかということ。

いまひとつ必然性が感じられない。


1年が地球と太陽との関係で決まるのならばもっとわかりやすいタイミングがあるのではないか。

太陽の動きからいえば活動が最も弱まる冬至は死のイメージなので、死からよみがえって1年がはじまるということから、冬至とその翌日が1年の境目であるほうがすっきりするのではないか。

冬至の翌日から1年が始まり、春分、夏至、秋分を経て冬至に戻るサイクル。


今年でいえば12月21日が冬至だったので、12月21日が12月31日のおおみそかで12月22日が1月1日の元日ということになる。

この場合12月25日のクリスマスはどうなるかというと、元日のあとに来るわけではなくて、12月31日の6日前だから12月15日ということになる。

あ、なんかちょっとややこしくなってきたぞ。

そもそもクリスマスだってもしかしたらもともとは冬至の翌日だったんじゃないの?なんて思う。

主の生誕は太陽が勢いをとりもどしはじめるタイミングがふさわしいのではないか。

となるとクリスマスと元日は同じ日になる。


おおすっきりした。

これであたらしい暦の問題はクリアした。

すべては冬至でクリアされて冬至の翌日からリスタートする。

これで決まり!


と書きながら思いがけない盲点に気づいた。

北半球と南半球では冬至と夏至は反対なのだった。


無念。

力尽きました。

やっぱり明日からあたらしい年ということでOKです。


(そもそも世界中でどれだけのひとびとが明日を1年の変わり目と考えているのかもよくわかりませんが。)


しょーもない記事のあとに恐縮ですが、今年このブログを通じてお世話になったみなさんありがとうございました。


来年がよい年になればいいですね。