冬の夜は星がきれい。
月のない澄んだ夜ならばなおさら。
銀河鉄道の夜を初めて読んだ。
もっとメルヘンな物語だと思っていた。
いやこれこそメルヘンなのかな。
実は宮沢賢治さんの作品は苦手。
惹かれるのだがあまりにもピュアで繊細すぎてもはや汚れまみれのぼくのこころでは眩しすぎて直視できないせいだ。
けれどもあのひとが大好きだというので読んでみた。
やはり眩しい。
どこまでもナイーブで、どこまでも純粋で、どこまでもはかなくて、どこまでももろくて、どこまでも弱々しくて、どこまでもやさしくて、どこまでも、どこまでも。
ガラスよりも水素よりも透き通った天の川の流れ。
ジョバンニの悲しみ、不安、愛情。
カムパネルラのやさしさ、素直さ、おもいやり。
銀河ステーション、北十字、プリオシン海岸、鳥を捕る人、ジョバンニの切符、姉弟と青年、燈台看守の苹果(りんご)、わたり鳥の信号、ドヴォルザークの新世界交響楽。
蝎(さそり)の火の物語。
まことのみんなの幸(さいわい)のために。
ハルレヤハルレヤ。
なにがしあわせかわからないのです。
カムパネルラのお父さんの悲しみ。
そしてジョバンニへの朗報。
理屈では割り切れないこの不思議な物語の世界。
全編を通じて流れる静かでやさしくて弱々しい音楽。
それは遠い星からの光のはかなさにも似て。
ぼくのこころは知らぬ間にジョバンニとともに銀河鉄道のビロードの座席の上へ。
宇宙空間をただよう。
地上の川に映る天の川。
もしも宮沢賢治さんが屈強な肉体の持ち主であったならばこのようなうつくしい作品が生み出されることはなかっただろう。
そんなふうに思う。
――銀河鉄道の夜――
宮沢賢治