たいした理由も思いあたらないのにどうにもいたたまれなくことがある。
いたたまれなさを感じさせるのは現実には存在しないはずなのに確かにそこにあるとしかいいようがない不安の塊。
気持ちをじわじわと押さえつけてくる。
それをバイオリズムのせいにしてしまえば不調なりにも落ち着くことが出来る。
この不安の塊もいずれどこかへ消え去ってふたたび何食わぬ顔で能天気に暮らしていけるはずだ。
それはわかっているけれどもいまはなんだか滅入ってしまっていてその流れに身を任せるよりすべがない。
大好きだった音楽や文章でさえ疎ましく感じられるある期間。
そんなときにはまちなかに隠れているはかなくも力強い自然の生命に寄り添ってもらいたくなる。
ここではないどこかへの逃避行。
あるいは暗闇に浮かぶ果物店のまばゆい光の洪水などに。
檸檬。
京のまちでは現実離れしたそのイエロー。
片手に収まるその小ささとずっしりとしたその重さ。
動じない確かさをもってここに存在する檸檬によりおのれのあやふやな実存をおぎなう。
1顆の檸檬に救われる感情。
しかしそれも所詮は檸檬1顆分の救済。
避けていた丸善に入ってみるとやはりもとのえもいわれぬ気だるさが襲ってくる。
気に入りの画集にさえ胸は躍らず手当たり次第に本を棚から取り出しては積み上げて。
檸檬。
檸檬による美世界の統合というまやかしと気休め。
奇抜な発想で密かな企みを実行してみてもどのみち檸檬1顆分の爽快感。
店外に出るとやがて何事もなかったかのような重苦しさと虚しさに押しつぶされそうになるのだった。
ささやかな脱出と寄る辺なき不吉の繰り返し。
--檸檬--
梶井基次郎