「大阪アースダイバー出版記念」
ナカノシマ大学【秋の特別集中講義】
大阪論 Ⅰ「俯瞰する大阪」。
行ってきましたよ。
堂島の
中央電気倶楽部。
昭和5年建築のレトロ建物。
こういうの好き。
昔はよくこういうホテルがあったね
って誰かが言っていました。
昨日に引き続き中沢新一さん。
昼の
アースダイバー養成講座&サイン会
には所用で泣く泣く参加できませんでした。
残念。
サイン欲しい。
ふう。
昨日は内田樹さんとの二人会でしたが
本日は中沢先生の独演会です。
ワンマンライブですね。
アースダイバー神話からスタート。
惹きこまれます。
例によってぼくのフィルタを通したメモでご紹介します。
(中沢先生の発言通りではないかもしれませんがご容赦を。)
いまの地球の“大洪水”は肥大しすぎた経済によって引き起されている。
“お金”によって“地球”が水びたしになっている。
ここでいう“地球”はひとの“こころ”でもある。
水底に向かって勇気を持ってダイビングし“こころ”の陸地を復活させようというのがアースダイバーのこころみである。
いいですね。この導入。
こどもの頃から先生は
土地に値段がついたり土地を区切って私有できたりすることに
違和感を感じていたのだそう。
イマジン
ですね。
土地を私有するという概念は人類の歴史でみればほんのごく最近にうまれた考え方に過ぎない。
そしていつの頃からかこの私有の概念は人間の進歩の証明だと考えられるようになった。
けれどもそれはおかしいのではないか。
もともと人間は土地を共同使用してきた。
人間だけでなく地球上の生物全体と共同で使っていたのだ。
人間は“庭師”のようなもので土地を所有するのでも支配するのでもなく手入れするものだった。
庭師か。
なるほど。
経済があらゆる領域を侵しているけれども人間関係の根っこの部分ではいまでもお金を介在させることはできない。
たとえば子育て。
親は子に見返りを求めず与える。贈与する。
あなたを育てるのにいくらかかったと思っているのよ、というのはもちろん愛のこもった冗談だ。
そして与えられた子は次の世代に贈与する。
そこにはお金は介在させてはいけないしそもそも介在しない。
確かに。
ところであなたが身に着けているものでお金で手に入れたものではないものはありますか。
経済はもともとは社会のうちに内包されていた仕組みだったがそれが逆転して経済が社会を飲みこんでしまっている。
経済の拡大が人間の進歩ではない。
アースダイバーのこころみはいうなれば“進歩”にあらがう“退行”を目指すものだ。
“進歩”の過程で切り捨てられたものを呼び戻す作業だ。
進歩神話もそろそろ信じられなくなってますよね。
土地のつくりは人間の思考方法に決定的な影響を及ぼす。
頭で考えた都市計画は土地そのもののつくりの前ではなすすべがない。
そして大阪アースダイバーのきっかけについて。
大阪をアースダイブしていると鳥肌が立つようなことがいろいろわかってきた。
東京の封建主義的で権威主義的な都市のつくりと異なって大阪は商業から成り立ってきた世界的にもオーソドックスな都市のつくりである。
縄文人に始まり海民が交わりそして渡来人を受け入れハイブリッド化が進んでいく。
生駒山と上町台地が大阪を語るうえでの最重要要素。
そして海と太陽と海民が大阪の文化のキーワード。
大阪のいまの問題も大阪の魅力もこれで解き明かせる。
ぞくぞくしてきます。
90分のお話を聴いていると
ついつい中沢先生がカリスマ化していって
師と弟子みたいな気分になってしまいます。
でも中沢先生はそんなことは望んでいないんでしょうね。
何かのアイコンに見立てたくもなりますが
それも本意ではないでしょう。
中沢先生は何ものにも縛られずに
自由に思考の翼をはばたかせているのがふさわしいです。
一方的に期待して窮屈にさせてはいけません。
それにしても今宵も白熱した特別集中講義でした。