川上未映子さんの詩集
水瓶。
9月25日に発売なんですってね。
しかも10月7日(日)には
刊行記念のトークイベントが神保町の東京堂ホールで開催とのこと。
無念
東京まで行く気力はない。
あ
ても既に定員に達しているや。
ま
しゃーないね。
トークのお相手はなんと
穂村弘さん。
豪華。
去年
芦屋でもお二人による講演がありましたね。
行けてないけど。
いいなあ。
聴ける人がうらやましいなあ。
水瓶
にはサインも入れてもらえるらしいしな。
大阪にも来てくれないかな。
阿部和重さんが子守してれば来られるんじゃないかな。
ま
ひとさまのご家庭の事情に首を突っ込んではなりませぬね。
みっともない前置きが長くなりました。
新詩集刊行にちなんでというつもりはまったくありませんが
なんだか久しぶりに読みたくなって再読しました。
処女詩集
先端で、さすわ さされるわ そらええわ。
ぜひ関西弁のイントネーションでお読みください。
初めて読んだときはちんぷんかんぷんながらも
ことばのリズムや迫力に圧倒されたのでした。
見慣れている詩とは表現が違っていたし。
こういうのは散文詩っていうのかな。
時が過ぎて再読してみると
ちょっと違った感想が。
リズムやことばとことばの化学反応は
あいかわらず刺激的なんですが
言いたいことがよくわかるというか
ちんぷんかんぷんじゃなくなりました。
なぜだろう。
体調や気分の問題かな。
それともぼくもぼくなりに経験を積んで機微みたいなものがわかるようになったのかな。
特におもしろかったのは
ちょっきん、なー
と
告白室の保存。
ちょっきん、なー
はグループ化された女子の賢しい残酷さと
グループにターゲットにされた女子のやるせなさが
臨場感を持って決して経験することのないぼくに伝わってきた。
テーマはよくある女子ものなのかもしれないけれども
表現と素材がやはり独特。
上品で悪趣味そしていかんともしがたく。
フィニッシュは
乳と卵
のラストの卵まみれを彷彿とさせるというと
ぼくの飛躍かもしれないが。
もうひとつ。
告白室の保存。
前に読んだときは
男の気持ちも女の気持ちもどちらもわかって
どちらもどうしようもないなあという感じだったけど
今回は女の気持ちがフィットした。
男は自分の過去の暗部を話したがらない。
女はわかりきった男の過去には興味がなく
むしろ暗部にこそ決定的な何かがあると考えそこに執拗にこだわる。
そう過去の女とのまっとうな恋愛なんて自分との関係とそう大差ないことが予測されるからあらためて知るまでもない。
けれども男が話したくないようないわゆるアブノーマルな関係には自分との関係では決して体験されないような何か独特な男の情緒が発露されていたはずと考える。
情報エントロピー。
圧縮不能な情報が多ければ多いほど興味が湧く。
ああおもしろい発想だなあ。
こんな発想を文章化してしかもひとりよがりにならずにちゃんと誰かに伝わるってすごいなあ。
川上未映子さんの詩には
彼女の小説のエッセンスが凝縮されているのです。
――先端で、さすわ さされるわ そらええわ――
川上未映子