先端で、さすわ さされるわ そらええわ
に続く第2詩集。
2008年から今年までに発表された8編に
書き下ろしの表題作を加えた9編からなる。
さながら音楽のアルバムのような印象を受けた。
しかもハズレ曲なしの完成度の高いアルバム。
1 戦争花嫁
2 治療、家の名はコスモス
3 バナナフィッシュにうってつけだった日
4 いざ最低の方へ
5 星星峡
6 冬の扉
7 誰もがすべてを解決できると思っていた日
8 わたしの赤ちゃん
9 水瓶
詩集といえば谷川俊太郎さんの詩集くらいしか読んだことがないので
他の詩人の作品とは比べる知識もなにも持ち合わせてはいないのだが
やはり川上未映子さんはただものではない。
ことばとことばの他ではありえない結合。
化学反応。
そのことばの次にそのことばを並べるなんていったいどういう言語感覚になっているの?
それでいて決して奇をてらっているのでも理解を拒んでいるのでもなくひらかれていて効果的な印象を読むものに与える。
右脳で感じるってことかな。
論理的に物語を紡ぐというよりも映像と音楽を読む者に喚起させるという手法。
ドビュッシーの音楽にも似ているか。
あるいはずばりラヴェルの水の戯れ。
はっきりいってぼくの鑑賞能力では理解できていないのだろうけれども
それでも読んでいて心地いい。
不穏で不安で痛切な感覚でさえも。
玄関の扉をめいっぱいあけて吹き抜ける巨大な風の筒。
老女のなかの少女。
ことばにならぬ内なることばのかたまり。
星と星との空間のような顔と心をもった大人。
積み上げるホットケーキ。
そしてわたしの赤ちゃん、わたしの、赤ちゃん。
ああ少女の抱える水瓶のはてしなさやるせなさせつなさはがゆさもどかしさ。
夜の目硝子の少女再び。
ピュアな水を湛えた水瓶のなかではピュアでないものがより際立つのである。
少女と水瓶のみごとな反転。
ことばの意味はよくわからなくてもことばがうみだす感覚のゆらぎみたいなものに浸れる詩のアルバム。
――水瓶――
川上未映子