今朝
目覚めたら
9月になっていました。
ぼくは何も手をくだしていないというのに。
ところでこの本
興味を惹くタイトルです。
副題は
AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる
です。
原題は
The Most Human Human.
What Talking with Computers Teaches Us About What It Means to Be Alive.
チューリングテストを通じてながめた人間洞察の本といいましょうか。
さてチューリングテストとは何か。
表紙の折り返しから引用します。
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チューリングテストとは
「機械には思考が可能か」という問いに答えを出すために、数学者のアラン・チューリングが1950年に提案した試験である。
審判がコンピュータ端末を使って、姿の見えない「2人」の相手と5分間ずつ、チャットする。
一方は本物の人間(「サクラ」役と呼ばれる)、一方はAI。
チャットが終わると、審判はどちらが本物の人間か、判断する。
もし、審判たちのうち、30パーセントをだますようなAIがいれば、それはもはや人間と同様に思考し、意識を持っていると考えていいだろう―――。
AIがチューリングテストにパスするとは、この基準をクリアすることを指す。
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で
審判に最も人間らしいと思わせたAIには
最も人間らしいコンピュータ(Most Human Computer)
の称号が贈られる。
そしておまけのようなものだが
審判に最も人間らしいと思わせた人間に与えられる
最も人間らしい人間(Most Human Human)
の称号というものがある。
皮肉っぽい賞であるが
著者はこのおまけの称号に興味を持ち
いかにして人間らしく審判とチャットするかを研究する。
人間とAIが競うことによって
人間とAIとの違いが浮かび上がってくる。
こういうアイデアにぼくも興味を持ったのでこの本を手にとった。
素材とアイデアはとても気に入っているのだが
文章と構成が物足りず
冗長に感じたのはぼくのせいだろうか。
ともあれ着眼点はぼくの好みなので
とにかく最後まで読んだ。
記憶に残っていない部分も多いのだが
チェスの王者 対 AI
のくだりと
会話のエントロピー
のくだりが
特に興味深かった。
チェスっていうのは
いかに何手先までを読めるか
っていう思考ゲームだと思っていたが
AIはその圧倒的な計算能力を用いて
過去のゲームの棋譜をすべて取り込み
序盤はその蓄積したデータのとおり
進めていくらしい。
だから
思考している
とは到底いえないようだ。
過去事例の単純な反復。
さらに終盤は駒の数が減ってくるので
それこそしらみつぶしにすべてのパターンを
計算して最善の手を打つ。
これも到底思考とはいえない。
さすがに中盤は
AIの圧倒的な計算力を以ってしても計算しきれず
途中で計算を打ち切るらしい。
AIにとっては
いかに中盤を短くして
序盤と終盤で力を発揮するかが勝利の秘訣のようだ。
だから人間対AIなんていうのは
まったくもって本来のチェスとは異質のものなのだ。
そういうことを知って
まあ人間の負け惜しみの部分もあるとしても
人間がAIに敗北したところで
人間がAIより劣っているということでは断じてなく
ちっともたいしたことではないのだ
と思えるようになった。
で
チェスとチャットにも
コミュニケーション手法としての類似性があるので
こういう話が出たというわけ。
会話のエントロピーの話では
たとえば携帯メールの変換候補なんかで
人間が機械に影響を受けている
っていうのが興味深かった。
ぼくが持っている携帯電話では
たとえば
あ
と打てば
在り方 憧れ ああ ありますが
などと
あ
のつく言葉が表示されるが
スマホユーザーの友人によれば
今日
と打てば
遊びに行く
などと次の文章が過去の事例から
表示されるという。
なんだか機械に
あなたはどうせ次にはこういうことばを打つつもりなんでしょ
なんて思考パターンを先回りされていると思うと
ちょっと自分が情けなくも感じたりする。
たとえ表示された言葉が
まさにこれから打とうと思っていた言葉であったとしても
わざと天邪鬼に違う言葉を打ちたくなってしまう。
ボキャブラリーが貧困だと
携帯メールの変換候補も貧困なラインナップになるようだ。
変換候補に抗ってことばのセンスを磨きたい。
それにしても
AIの技術はかなり進んでいるらしい。
それは必ずしも思考しているわけではなくて
チェスや携帯メールの場合と同様に
膨大なネット世界の言語交流データの蓄積から
意味もわからず機械的に繰り出される文章だとしても
そもそもぼくたちが会話のときに口に出すことばだって
結局のところは過去の経験の蓄積からのアウトプットにすぎないわけで
AIと似たり寄ったりだったりするのである。
AIには真似のできない
ぼくらしいことば。
そんなものをどれだけ繰り出せるかが
ぼくがぼくであることを証明する手がかりになるのだ。
(という記事を書いているぼくがAIではなくて人間であると
あなたは信じているだろうか?)
――機械より人間らしくなれるか?
AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる――
ブライアン・クリスチャン
訳 吉田晋治