あまくないチョコレートと香ばしくないコーヒー | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

今朝

チョコレートを食べながらコーヒーを飲んだ。


朝からチョコレートを食べることは滅多にないが

なぜだか今朝はそうだった。


そしてふと憂鬱なことが思い浮かんでしまった。


以前

なにかの番組だか記事だかで

アフリカのどこかの国のカカオ農場で

小学生くらいの少年たちが働いているのをみた。


彼らは自分が何をつくっているのか知らない。


学校にも行けず

低賃金で(日本でいう低賃金とはレベルが全く違う)働いている彼らが

チョコレートを食べることはないのだという。


自分が働いているところでできたカカオが

甘くておいしいチョコレートという名の宝石に加工されて

世界中のこどもやおとなに幸福なひとときを与えていることさえ知らずに。


おなじことはコーヒー豆でもあるらしい。


ぼくがみたのはほんの一部の世界のことで

カカオやコーヒー豆の生産のすべてが同様の状況ではないのかもしれない。


けれどもきっとそういうことなんだろうと思う。


カカオやコーヒー豆だけでなく

安い値段でぼくたちがたのしんでいるいろいろなものものも

同じなんだろうと思う。


そういうことを知ってしまってから

しばしばチョコレートやコーヒーをたのしむときに

アフリカのカカオ農場の少年たちの姿が

イメージとして呼び出されてきて

苦い気分になる。


苦い気分にはなるけれども

途中でチョコレートやコーヒーをやめるわけではなくて

食べきるし飲みきる。


そしてこれからも

チョコレートを食べるしコーヒーを飲むのだ。


ときどき苦い気分になりながら。


どうせその程度の罪悪感。


何もしらずにたのしんでいる人よりはましだよ

なんて善人ぶってうそぶきながらも

うしろめたい気分から逃れることはできないのだ。