変身 | (本好きな)かめのあゆみ

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

超有名な

カフカさんの変身。


これまで幾度となく読み返してきたのは

高橋義孝さんが訳した

新潮文庫版。


先日

断食芸人

が読みたくて購入した岩波文庫には

山下肇さんと山下萬里さんが訳した

変身

が載っていたのでこれも読んでみた。


読み比べはあまり趣味ではないし

面倒でもあるのでしないが

こちらの訳もまったくもって違和感なく

すんなりと読めた。


翻訳の力は原作の味を生かしも殺しもするけれども

もともとの原作の力が強ければ

いかなる翻訳にも影響されないというべきか。


あるいは

力のある原作は力のある翻訳者を引き寄せるというべきか。


そんな翻訳にまつわるあれやこれやはともかくとして

やはり変身は何度読んでもおもしろい。


ある朝目覚めたら虫になっていた

っていう非現実的な設定に気をとられがちだが

虫になっていた

ということそのものがなんらかの寓意であると考えながら読むと

むしろ虫なんていう突拍子もないものにしてくれていて

よかったとすら思える。


ある朝目覚めたら極度の鬱になっていた

とか

ある朝目覚めたら酷い認知症になっていた

とか

ある朝目覚めたら身体が動かなくなっていた

とか

そんな身の回りにしばしば起こりうる

現実的な「変身」を描かれていたら

さらに痛々しくてふさぎこみたくなる作品になっていただろう。


それをそうしないところがカフカさんの作品の

やさしさでありおもしろさである。


読む者はそれぞれに思いあたるなんらかの現実的な「変身」を

虫に変身したグレゴール・ザムザと重ね合わせながら物語を追うのである。


少なくとも

朝目覚めたら仕事に行くのが嫌になっていた

とか

朝目覚めたら学校に行くのが嫌になっていた

っていう経験は誰にでもあるでしょ?


そこには幾通りもの物語と解釈が存在しうるのだ。


もちろん小難しくなんらかの寓意をさぐろうとしたりせずに

文字通り虫になったグレゴールと家族の

置かれた状況や心理の変遷を見守りながら読んでいくのもたのしい。


ああ

虫ならこうするだろうな

とか

虫ならこういう動きだろうな

とか

虫ならこういう扱いをうけるだろうな

とか。


ひとつひとつの行動や思考について

執拗に丁寧に掘り下げて描写する表現の連続に

思わず笑えてしまったりもする。


みじめな状況にさらに追い打ちをかけるかのような

地味にみじめな描写の数々。


そこまでおとすか

って。


これは絶対に作者はおもしろがりながら描いているだろうな

って感じがする。


グレゴールと家族と家政婦と間借り人たち。


かれらの感情と行動が合理的なような理不尽なような

どちらとも受け取れる絶妙のさじ加減で展開していて

この作品に接する態度を読者に迷わせる。


真面目な人が真面目な顔をしながらいう冗談は

笑っていいのやら笑ってはいけないのやら迷ってしまうのに似ている。


だいたいぼくは笑ってしまうんだけどね。


グレゴール目線で読むもよし

妹や父や母目線で読むもよし。


これまで家族のために頑張ってきたけれど

一転して家族にとって重荷になってしまった自分。


あるいは

頼りにしていた家族が

突如として重荷に感じられる状況になってしまった場合。


最後の家政婦なんかはいわゆる古典的な魔女っぽさもあって

腹立たしいほど胆が据わっている。


間借り人たちの理不尽な存在感は

カフカさんの作品のレギュラーメンバーだ。


それにしても読めば読むほどに謎が深まる作品なのだなあ。





―変身―

カフカ

山下 肇・山下 萬理 訳