よせばいいのに
10分遅れで終電を逃す。
タクシーでも知れたものだが
あえて深夜バスに乗ってみる。
電車に乗り遅れた人たちとの連帯感を
勝手に感じてみようという企て。
それにしても
こんなにたくさんのひとたちは
いったいなぜに終電を逃したのか。
仕事のせいのひともいるだろう。
恋人と離れるのが惜しかったひともいるだろう。
ついつい飲み会で帰りそびれてっていうひとも多いだろう。
ゆうべのぼくもそう。
ああ
みんな乗り遅れちゃった残念なひとたちなんだなあ
とひとり感慨に浸りながら乗車しているとおもむろに
――1万円札を両替できるお客様はいらっしゃいませんか?
との運転手さんのアナウンス。
420円の運賃を支払う小銭を持ち合わせていないひとがいらっしゃるのね
と聞き流しつつ周囲の乗客を見渡すと
結構な人数のお客さんが
1万円札を両替できないものかと財布をチェックしている姿が目に入る。
ああみなさん
なんて律儀なひとたちなんだ。
やさしい。
ふとしたいきさつでこんな場面に遭遇して
思わず涙がこぼれそうになる。
タクシーに乗っていては出会えない光景。
ぼくなんて
どのみち小銭がなければないでどうにかなるだろう
なんて軽く聞き流していたのに。
ここで考える。
もしかしたら終電を逃しちゃうひとたちっていうのは
人情に篤いひとたちなんではないだろうか。
終電を逃すリスクよりも
逃す原因になった仕事や恋人や同僚を大切にするひとたち。
そんなふうに思うと
この真夜中の満員バスの乗客のみなさん全員が
いとおしくなる。
勝手に連帯感を抱いてしまう。
いっそこのまま
みんなでこのバスで海にでも行きませんか
そして朝日に向かって叫びませんか
生きているってすばらしいって。