日本には四季がある
という。
春夏秋冬。
その存在を疑うことなど滅多にない。
だから今日は季節でいうと
春だということになろう。
けれども結構寒い。
真冬の寒さでは決してないけれども
まっすぐに春だと断言するのにも
少し抵抗を感じる。
確実に冬の名残を感じる。
冬の記憶の残る春。
いっぽうで
陽ざしには夏の気配が感じられもする。
夏の予感をはらんだ春。
今は冬だ
と
今は夏だ
には
満場一致の日があるだろうけれど
今は春だという日には
満場一致の日はないのではないか。
そもそも春なんぞというものは存在しないのではないか
と疑ってみる。
冬と夏とのあはひの一時期。
冬はゆるやかに夏に向かっていく。
冬と夏とのせめぎあい。
もしも春という言葉がなかったら
春という存在そのものもないのだろうか。
もしも春という言葉がなかったら
ぼくたちの感受性は
広がるのだろうか狭まるのだろうか。
ひとはあらゆるものものに
名前を付けずにはいられない生き物。
名づけることで
その存在は際立つと同時に貧しくなる。
ああひとよ
安易に名づけるな。
名づけずに感じよ。
しかし。
けれども。
今の時期に春という言葉がなかったとしても
枝を青空に広げる桜の樹をみて
言葉以前の今の時期に胸がうたれることは
どうやら疑いようがないようだ。