負い目を感じ続けてまた三月 | (本好きな)かめのあゆみ

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

しょーもないことを書くくらいなら

じっと黙っているほうが

よっぽどまともな考え方だ

とも思う。


沈黙は金なり。


ほとんどのひとが

もやもやとしたなにかを抱えて

無言であったり

関係のないことを語ったり

しているのに違いない。


なにかしら思っている。


そんな

無言のひとの声なき声にこそ

ある種の真実が秘められているようにも思う。


そういう意味で

ぼくが今から書こうとしていることは

普通なら書かれるまでには

至らないはずのことがらである。


書くまでもないようなことを

いけしゃあしゃあと書いてしまう

そんなぼくは厚顔無恥。


厚顔無恥なうえに

ついつい巧く書こうとか

きれいに書こうとか

思ってしまうのが

我ながら腹立たしくて不愉快だ。


今日はできるだけ

素朴に正直に書いておきたい。


大きく揺れたちょうどそのとき

ぼくは勤務先である中之島のビルの1階で

福島区にある別の事務所の担当者と

電話で打ち合わせをしているところだった。


ぼくのいる中之島は中之島というだけあって

堂島川と土佐堀川に挟まれた中州なので

地盤はすこぶるゆるいのである。


打ち合わせ相手の事務所も

安治川沿いにあり

そちらも地盤は軟弱。


ぼくは仕事の話に集中していたせいか

先に気づいたのは打ち合わせ相手であった。


そっちも揺れてます?


ぼくはわかりませんけど

まわりの同僚たちはなんかそわそわしてるみたいです。


ちょっといったん電話をおきますわ。


そうしましょうか。


受話器を置いてからも

しばらく揺れは続いていた。


起きている時間帯では初めて経験するような

大きくて長い揺れ。


身体が感じる

ではなく

目で見てわかる

揺れであった。


ようやく揺れが収まってからも
けっこう長い間

船酔いにも似た感覚で気分が悪かった。


とはいえ

ロッカーが動いたとか

物が落ちたとかいうこともなく

また平常の仕事に

みんな戻っていった。


断片的に

ただごとではない

という情報が職場にもたらされるが

テレビをつけているわけでもなく

仕事も忙しいので

さほど気にすることもないままに

当日の勤務を終えた。


帰り支度を整えていると

出張に出ていた同僚が

号外を持って帰ってきた。


その写真を見て絶句。


ことの重大さがわかってきたのは

ようやくこのときだった。


家に帰って

テレビに釘付けになる。


見たこともない映像。


身体が震える。


こころが震える。


その日から

ぼくの負い目を感じ続ける日々

がはじまったのである。


ここからはさらに

とりとめもないことの

箇条書きになる。


福山雅治さんがラジオで語っていたことが

印象に残っている。


自分が流しているこの涙はいったいなんなんだろうか

それを考えていた。


ぼくも同じように疑問に感じていた。


ぼくはあまり涙は流せないのだが

報道に触れるとときおり

胸の奥からいいようのない悲しみが湧きあがってきて

涙が目に溜まるというようなことが

しばしばあった。


すべてが流された土地の上で

呆然と立ち尽くすおばあさんの写真。


ベビーカーを押して逃げるお母さんや

ゆっくりと歩いて逃げるおばあさんを

追い越して

命からがら高台に上がった直後に

襲ってきた津波。

なぜ自分は彼女らを追い越して

逃げてきたのだろうと自らを責める男性。


揺れで倒壊した家屋。

母はがれきに挟まれている。

娘は母親を助けようとするが

津波が迫ってくるのが見える。

母は娘に逃げろという。

娘は泣く泣く母を置いて逃げる。

生き残った娘の心情は。


こういう報道に触れるたびに

つくづく

自然のむごさを思い知らされる。


人生は選択の積み重ねだとはいうけれど

こんな選択はできることなら経験したくない。


誰にもぶつけようのない感情。


池上彰さんの生放送の番組の中で

避難所で生活する女性がぽろりと言った。


ふとした時間があると仲間内で

今のつらさやこれからのつらさを考えたら

私たちも一緒に津波に流されて

死んでいたほうがよかったんじゃないか

って話しているんです。


池上彰さんは必死で

生き残ったひとは死んでいったひとのためにも

精一杯生きてください

と呼びかけていたが

ほんとうはみんな避難所のその女性の言ったことばの

重さをわかっているのだ。


生き残ることのつらさ。


彼女たちはいま

生き残ったことをどう考えているのだろうか。


原発の問題。


ほんとうのところはどうなのか。


ぼくの暮らしているところでは

原発はもう稼動させなくても

なんとかやっていけるのではないか

という気がする。


けれどもときおり目にする

原油やガスの輸入増加が

日本の経済に大きな打撃を与えているので

いまの状態を継続するのは難しい

とか

温室効果ガスの発生が増大して

地球の温暖化防止に逆行する

とか

エネルギーが不安定なせいで

企業が海外に流出してしまう

とかいう論調に怯んでしまう。


原発は安全だ

と言っていた政府や電力会社のことばは

もはや何も信じられず

判断ができない。


正直なところ

今後はエネルギーの金額が高騰して

貧しい人が利用できなくなる格差が生じていく

ということも予想できるが

なんだかそれはそれでしようがないような気にもなってくる。


あきらかに手なずけられないことがわかっている

原発に頼っておびえつづけるよりも

庶民は省エネ生活にシフトしていくほうが

幸福なのではないかという風にも思える。


現に夏にエアコンの使用を控えたおかげで

この冬は身体が暖かかったような気もするし。


電力不足が叫ばれていても

スマホはどんどん普及している

という現象も不思議だ。


いやスマホの消費電力が

いかばかりかも知らずにいうのは

よくないけれども。


まあこんなふうに

何が正しいのかもよくわからずに

イメージだけで

ことの是非を判断してしまうのが

大多数の庶民なのである。


がれきの問題。


岩手、宮城、福島の沿岸部だけで

2250万トン。


そのうち岩手と宮城の400万トン以上を

広域処理したいと政府はいう。


福島のがれきは県内処理するらしい。


広域処理には各自治体が慎重に

住民の理解を得ようとしている。


片付かないがれきが復興の妨げになっている。


この問題でぼくの考え方は

めまぐるしく揺れた。


最初は当然協力するべきだと思った。


次に放射能汚染をばら撒かないで

なんとか被災地で処理したほうがよいのではないか

と考えた。


最近ようやく福島のがれきは

広域処理の対象外と知って

それなら広域処理をしても

放射能汚染がばら撒かれることには

ならないのではないかと考えた。


けれどもよく考えると

ぼくの住んでいる場所は

焼却工場からも最終処分場からも離れているから

ぼくの意見なんかはなんにもならなくて

やっぱり焼却工場や最終処分場の近くに

住んでいる人の意見が大切だな

ということに気づいた。


外野が騒ぐべきではない。


そんなふうに考えると

原発もごみ焼却場も沖縄の米軍基地も

同じような問題なのかもしれないと思う。


結局のところ

オメラスから歩み去る人々

が提示しているテーマそのものだ。


復興財源の確保のために

消費税率はすぐに上がると思っていたが

未だに上がっていない。


どうやら上げるとしても

社会保障目的らしい。


それはそれで必要だとは思うが

復興のために消費税率を

一時的になぜ上げられないのか。


被災地の痛切を分かち合うのには

もっともリアルな方法だと思うのだけど。


こんなふうに

醜いうえに読みにくい文章を

思いつくままにつらつらと書いていると

なんだかだんだんすっきりしてきている自分がいて

おぞましいと思う。


負い目

やましさ

そういう気持ちを失う権利を自分に与えてはいけない。


ところで

ぼくはこの1年でなにか変わったか。


いまだに防災グッズを用意していない。


災害発生時に家族で連絡をとりあう方法を

確認していない。


身の回りのあたりまえの生活に

日々感謝しているわけでもない。


何もしなくてもやっぱりあしたはやってくると

思い込んでいる。