オメラスから歩み去る人々 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

マイケル・サンデル教授の

これからの「正義」の話をしよう

のなかで紹介されていた物語です。


ベンサムの功利主義に対する

基本的人権の立場からの反論の

物語として紹介されています。


少数の不条理な不幸に基づく

多数の幸福は認められるか

というものです。





作者の前書きを含めても

文庫で13ページあまりの

超短編ですが

読後

うーん

と深く唸ってしまいました。


誰でもいいからひとりの子どもを

地下室に閉じ込めて虐げていれば

まち全体が幸福でいられるが

だれかひとりでもそれをやめさせようとすると

まち全体の幸福は消えるという

社会システムは認められるか。


多くの人は

感情的にはNOというでしょう。


では実際に既にそういうまちが存在していて

あなたがそのまちの住人だったとしたら

あなたはどういうふうに暮らしますか。


1.まち全体の幸福が消えるとしても虐げられている子どもを救う。


2.まち全体の幸福のためにはひとりの子どもの犠牲は仕方のないことと受け止め、こころにやましさを感じながらもそのまちで暮らしていく。


3.まち全体の幸福が消えることにも、子どもが虐げられることにも耐えかねて、そのまちを歩み去る。


ぼくたちはいろんなジレンマを抱えながら

あるはずもない最良の選択をさがして

生きていきます。


オメラスでは

まちで暮らす全ての住人が

地下室で虐げられているひとりの子どもの存在を

定期的に目の当たりにすることが決められています。


自分の幸福がその子どもの犠牲の上に成り立っているという

事実から目を背けることは許されていません。


もし

子どもの犠牲があることを知らなかったら

この幸福は許されるでしょうか。


もし

この子どもが何らかの犯罪者だったらどうですか。


もし

この子どもが全く知覚能力を持たずに生まれた子どもだったら。


もし

閉じこめられるまでは親の愛情を一身に受けて育った子どもだったら。


もし

戦争の相手国の子どもだったら。


もし

あなたの子どもだったら。


もし

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


こんな条件付けで

判断が変わりうるでしょうか。


変わることの是非は。


変わる理由は。


虐げられているのが子どもではなく

大人だったら。

高齢者だったら。

障害者だったら。

特定の立場の人だったら。

特定の地域の人だったら。

特定の性別の人だったら。

特定の職業の人だったら。

特定の役職の人だったら。




ぼくたちはいろんなジレンマを抱えながら

あるはずもない最良の選択をさがして

生きていきます。




-(ウィリアム・ジェイムズのテーマによるヴァリエーション)

オメラスから歩み去る人々-

ハヤカワ文庫 風の十二方位所収


作 アーシュラ・K・ル=グウィン

訳 浅倉久志