オツベルと象 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

ひょんなことから

宮沢賢治さんの

オツベルと象

を読むことになった。


久々に読むと

以前とは違うところに焦点があう。


以前は

こども向けの訓示的な作品だよな

という印象だったが

あらためて読み返すと

おとなのこころだからこそ感じられる部分に気づいた。


特に

白象がよく働くことについて記述した後の


じっさい象はけいざいだよ。それというのもオツベルが、頭がよくてえらいためだ。オツベルときたら大したもんさ。


というくだり。


泣ける。


っていうか泣きたくなる。


えーん。


強引な解釈をすると

最初は

働くことの楽しいエッセンスばかりを体験させて

組織の中に取り込み

しだいにがんじがらめにして

逃れられないように追い込み

しまいにはぼろぼろになるまで搾り取る

そういう現代の経営手法あるいは労務管理を

読みとってしまうためだ。


褒められるのは

働いたものではなく

経営者の手腕なのである。


オツベルときたら大したもんさ

である。


白象への賞賛などうすいうすい。


まんまとオツベルという強欲な経営者の策に嵌る

白象の無知ゆえのおおらかさを責めることができるかどうかは

置いておくとして

ぼく自身は

ときにオツベルであり

ときに白象であり

ときに百姓どもである。


経営のみならず

社会全般での

だましだまされ

しぼりしぼられ

うばいうばわれ

といったそういうことども。


オツベルは悪者か

白象はかわいそうか。


一面的なものの解釈は自分を楽にしてくれるが

複雑な真実に光をあててはくれない。


グララアガア

グララアガア。


宮沢賢治さん

おそるべし。


もちろん

ぼくみたいなこういうねじくれた解釈抜きで

素直にこころに訴える作品である。






-オツベルと象-

宮沢賢治