もしもノート | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

もしもノート


ドラえもんが四次元ポケットから出してくれそうな

そしてのび太が調子に乗って失敗をしでかしそうな

そんな名前のノート。


現実に売られているらしい。


といっても

もしも

が実現する不思議道具ではない。


ぼくたちは

明日死んでしまうかもしれない

という世界で生きている。


普段は

明日が来ることになんの疑問も抱いていないが

予期せぬ災害や事故に巻き込まれる可能性を

いまなら真実味を持ってありありと感じられるはずだ。


死んでしまえば自分はもうおしまいだが

残された家族やともだち、関係者のみなさんの

戸惑いを最小限に抑えるためにも

万一のときに備え

自分の思いを残しておこうというノートらしい。


葬式はどうしてほしいとか

誰に連絡して欲しいとか

そういう事務的なことはもとより

さまざまな自分の思いを連ねられるように

構成されている。


このノートにあげられた項目を

埋めていくことによって
今の自分にとって大切なものも

見えてくるという。


昨日の新聞の記事で知った。


おなじ新聞の記事で

養老孟司さんが

こんなことを言っていた。


ナチスの強制収容所を生き抜いた哲学者で精神科医の

ビクトール・フランクルの言葉。

寝たきりで回復の見込みのない患者にとって

自分の生きている意味は。

その人がその運命を受け入れて

それに対してどのような態度をとるか。

それが周囲に大きな影響を与える。


つまり

人生の意味は

自分の中にではなく

社会にある。


ぼくとしては

人生の意味はやはり自分の中にあると思うが

養老先生の言いたいことはよくわかる。


自分の生き方が周囲にどういう影響を与えるか。


できればよい影響であるに越したことはない。


さらに

死してなお残されたひとびとに

よい影響を与えられるならばもっとよい。


世に名を残す

なんておおそれたものではなくて

自分の生き方死に方によって

自分の身の回りのひとになにがしかの

よい影響を与えられるならば

それは幸福に違いないと思う。


そうやって我が身を振り返ってみると

とてもとても

ひとさまによい影響を与えるような

生き方をしていないことに

厭でも気づかされる。


ぼくも

もしもノート

を書いてみるべきかな。


けれども

書いた後にうっかりぼくが死んでしまったら

このノートのせいでかえって家族やともだちが

困惑してしまうような内容になったりして。