アントニオ猪木VS矢吹ジョー | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

ぼくを励ます名言集。


好きなことばもいろいろあるんだけど

ここぞという時に思い出すのがこの2つ。


どちらもうろ覚えなのだけど

既にぼくの血となり肉となっているので

まあよしとしよう。


ぼくの人生

そもそもうろ覚えのつなわたり。


それではまずアントニオ猪木さんのことばから。


困った問題をたくさん抱えて身動きがとれなくなったときには

まずは簡単な問題から片づけて数を減らし

あとからより困難な問題にとりかかれ。

(ぼくの解釈で原文ではない。)


これはまさしくその通りで

問題の数が多いとそれだけで絶望的な気分になることがある。

そんな時にはひとまず割り切って問題の数を減らしにかかると

残ったより困難な問題にも立ち向かう意欲が湧いてくる。


問題の対象をシンプルにするということだ。


この話を確か猪木さんは

プロレスのバトル・ロイヤルという試合形式になぞらえて

語っていたように思う。


バトル・ロイヤルも最初は雑魚からやられていくのだ。

最後には大物同士が残る。


ここでぼくなりに注意しておきたいのは

状況によってはあえて困難な問題から立ち向かわなければならない時があること。


いまこのときを逃せば取り返しがつかない

というような問題は小さな問題を諦めてでもやらなきゃいけない時がある。





さてもうひとつは明日のジョーから。


ボクシングでは計量が済んでしまえばあとから体重が規定を超えても構わないのだが

減量で苦しんできたジョーが試合前に軽く食事を摂ろうとしていると

対戦相手のボクサーがやってきてジョーに言う。


おまえはハングリーボクサーだと言われているが

おれに言わせればちゃんちゃらおかしい。

おれはこどものころ戦争で地獄のような経験をして以降

あまり食べられないからだになってしまった。

食欲なんてわかない。

食べすぎると吐いてしまう。

おれの胃袋はあの地獄の経験をしたこどものころの大きさのままだ。

減量苦なんていうものは一度だらしなく胃袋を広げてしまったあまちゃんの行為だ。

(これもぼくの解釈で原文ではない。)


対戦相手の地獄のような経験をきいてしまい

ジョーは自らの甘さを痛感し試合前から既に精神的に打ちのめされてしまう。


しかし試合のなかでジョーはかつてのライバル力石徹を思い出す。


力石はおれと試合をするために激しい減量をした。

おまえは食えないのかもしれないが力石は食わなかったのだ。

食えないことと食わないこと。

食えないから仕方なしに食わないことと食えるけれども何かのために食わないこと。

どちらが厳しいかといえば自らの意思で食わない力石のその行動だ。

(これまたぼくの解釈で原文ではない。)


それに気づいたジョーは対戦相手に勝利する。


このあたりのストイックさというかなんというかしびれる。


猪木さんのことばもジョーのことばも

折々でぼくを励まし続けてくれている。


これからもどうかよろしくお願いするぜ。