宇宙の始まりは
無
である。
なぜならば
宇宙の始まりに何かがあったとすると
その何かの始まりには何があったのか
その始まりには・・・
と問い続けることになり
永遠に始まりにたどり着けないからである。
という説を以前Newtonで読んだ。
ここまでは前置き。
今日の帰り道
ふと思いついたことを
メモっておく。
無
の概念というのは
未だによく分からないのだが
たとえば
何もない状態
ということではなくて
完全に均衡がとれている状態
と考えることはできないか。
無=0
とは言い切れないと思うが
仮に
無=0
だとすると
その
0
は実は
±0
であって
無=±0=+100,000-100,000
というふうに
無とは
プラスとマイナスの均衡がとれている状態である
とは考えられないか。
で
かわいさあまってにくさ100倍
などというように
世の中には
プラスがマイナスになったり
その逆があったり
平然と反転現象が起こるものなので
あるきっかけで反転現象が起こって
±0の均衡が破れたときに
たとえば
ビッグバンが起こったりするのではなかろうか。
そう考えると
宇宙の誕生とはそもそも
歓迎すべからざる不均衡のたまもの
ということになってしまうのではないだろうか。
不均衡から生まれた宇宙で生きるぼくたちの世界は
不均衡であることが宿命である
ってことになりはしないだろうか。
そして
ぼくたちが何らかの安定や安堵や安心を求めるのは
原初への回帰願望というか
完全なる均衡状態
すなわち
宇宙の誕生前の±0の状態に戻りたい欲望
なのではないのかなんて考えてしまうのも
秋の夜長のせいでしょうか。