ほしぼしじゃなくて
ほしほしと読んでください
ってことです。
濁音が入ると
十把ひとからげな感じになりますが
清音で重ねると
かけがえのないひとつひとつの
星の姿が立ち現れます。
ことばの使い方ひとつで
印象ががらっと変わりますから
マジックです。
で
そんなきらめく大切な星たちと
川上未映子さんの対話が
この本には収められています。
●川上未映子、精神分析に勧誘される
×斎藤環さん
●生物と文学のあいだ
×福岡伸一さん
●性の呪縛を越えて
×松浦理英子さん
●世界はコトバで満ちている
×穂村弘さん
●からだ・ことば・はざま
×多和田葉子さん
●哲学対話Ⅰ ニーチェと、ニーチェを超えた問い
×永井均さん
●哲学対話Ⅱ 『ヘヴン』をめぐって
×永井均さん
哲学者である永井均さんとの対話は
どちらも鋭い内容で
読み応えがありました。
社会におけるペナルティの件で
明確なペナルティを定めた時点で
そのペナルティ自体が
タブーではなく
使用可能なツールになってしまう
って確かにそうですね。
サッカーのイエローカードの例が
示されていましたが
最初から
イエローカードで済むと分かっていれば
それと引き換えに
自分の有利を得ることも
可能になる
と。
レッドカードですら
ツールになりえますし
実際になってます。
身近なところでは
路上駐輪をして
ときどき撤去保管料を支払った方が
月極めで有料駐輪場に預けるよりも安くて済む
なんてタカをくくれば
ペナルティの意味が
薄れますし
実際悪びれもせずそういうことを
のたまっている方はしばしば
いらっしゃいます。
で昔は
不文律というか
暗黙のルールというか
どんな制裁を受けるか
あらかじめ分からないことだらけだったので
社会はその見えない力によって
秩序を保っていた
と。
なるほど
分かります。
でも
誰かのきまぐれで課される
ペナルティは
やっぱり民主的な社会では
不公正に繋がるということで
なんでもかんでも明文化
ってことになっているわけです。
神の裁きは不条理である
と。
おかげでいまや
そんなことどこに書いているんですか
といわんばかりに
明文化されていないことは
自分の都合のいいように解釈する
っていう風潮に
侵されている人々の
多いこと多いこと。
どこにも書いてなくても
それが常識であったりマナーであったり
するんじゃないですか
って正論はもはや通用しなくなっています。
まあ
確かに
スピード違反で検挙されたら
ときと場合によっては
全財産没収とか
一族郎党を斬首
なんてされる可能性があったら
恐くて自動車に乗れませんし。
あと
年間交通事故死者数が1万人を超えているのに
自動車を廃止しないっていうのは
人間の道徳観なんてものは
所詮その程度のものである
とかいう考え方にも
どきっとしました。
ああ
このことだけでも
たっぷり感想が書けてしまいますが
終わらないので
ほかにも気になったことをメモメモ。
同じく永井均さんと
川上未映子さんの
ヘヴン
について語ったところは
ヘヴンを読んだことのある人は
必読ですね。
コジマのありよう
百瀬のありよう
「僕」のありよう
について
遠慮しながらも作者本人の意図を含めて
さまざまに語られます。
ニーチェとカントとの対比の考え方が
興味深かったです。
ニーチェなんて人間らしくてかわいいもので
むしろカントの哲学は
簡単に反転させることができて
それは純粋悪にもなりうる
ってそういうふうに考えたことはありませんでした。
復讐のための悪ではなくて
感情を差し挟まず
単に価値転倒を起こすためだけの悪が
本当の悪だ
と。
深いなあ。
ちなみに
永井均さんも川上未映子さんも
ヘヴンのなかでは
主人公の「僕」が一番好きだそうです。
生物学者の福岡伸一さんとの対話も
面白かったです。
分子レベルでいうと
人間は常に空気と入り混じっている
っていう光景は想像するだけでも
ざわざわします。
有名な
生物と無生物のあいだ
も読んでみたくなりました。
歌人の穂村弘さんとの対話では
まともな穂村弘さんの
語りが聴けて新鮮でした。
川上未映子さんと穂村弘さんって
仲良しなんですね。
穂村弘さんの
独特の視点がこの対話でも
光っていました。
-六つの星星 川上未映子対話集-
川上未映子