懸案でした。
ずいぶん前に
友人が
めっちゃお薦め
してくれていたのですが
長編過ぎて
臆しているうちに月日が過ぎていたという
パターンです。
この秋ようやくその気になりましたので
遂に手にとりました。
面白いです。
熱い物語です。
序盤はたいへんと聞いていましたが
案外ちゃんと楽しめました。
確かに物語に深みを持たせるための
説明的な部分は多いのですが
その説明すらしっかりと読ませてくれる
文章力は当然素晴らしいです。
区切りごとに物語がしっかりと成立しています。
それぞれ十分に作品としての
読み応えがあります。
何年も前に
罪と罰
を読んだときは
確かに面白かったんですが
序盤は時間がかかりました。
その後
ユーゴーさんのレ・ミゼラブルとか
井上ひさしさんの吉里吉里人とか
谷崎潤一郎さんの細雪とか
長編もいくつか読んでいますし
米原万里さんのオリガ・モリソヴナの反語法とか
魔女の1ダース(これは途中)とか
読んでいるのでロシア的な雰囲気にも
慣れてきたせいもあって
今回はさほど読むのに苦労はしていません。
(それでもなんだかんだで1ヶ月かかりましたが。)
新潮文庫版で読んでいるので
上中下の3冊になりますが
上は
第二部
第五編 プロとコントラ
五 大審問官
までになっています。
噂の大審問官はもちろん
全体を通してそれぞれの登場人物の熱い思いが
描かれていて
名文名言名思考の詰め合わせでもあります。
大審問官の
次男イワンの語りは
熱気がほとばしっていました。
延々独白が続きますが
その論理構成力たるや
寸分の隙もなく
痛々しいくらい明快です。
復活を遂げたイエスと
大審問官のやりとりが画期的です。
悲しいまでに説得力があります。
人々は神を信じているのではなく
奇跡を期待しているのに過ぎない。
人々は自由を求めているのではなく
圧倒的な奇跡や権威の前に
服従することを望んでいるのだ。
原文ではありませんが
こんな感じです。
イワンは神を愛したいが故に
裏切られた思いで憎さ百倍になっているのではないかと
感じました。
ニーチェさんに言わせると
こういう考え方をしている時点で
自分から自由を拒否し
奴隷に身をやつして
安心している弱き者
っていうことになるんでしょうか。
(ちなみに
ドストエフスキーさんは1821年生まれ
ニーチェさんは1844年生まれ)
父と子
三兄弟
の愛憎が今後どのように展開していくのか
楽しみです。
主役である三男のアレクセイは
純朴ではあるけれども
さほど複雑な知性を感じさせず
あまり魅力的には思えませんが
作品冒頭の
作者の言葉
でドストエフスキーさんが
説明している物語のあらましが
効いていますので
この部分は折に触れ読み返しています。
ちょっと読み落としたのかもしれませんが
違和感のあるキーワードが
2つあります。
カラマーゾフ的
と
神がかり行者
なんとなく意味は分かりますが
頻繁に出てくるこの言葉が
どういう効果をもたらしているのか
なぜセリフとしてカラマーゾフ的などと自ら言うのか
最後には納得できるでしょうか。
それと
アリョーシャとリーズの関係にも
ちょっと違和感はありました。
まあ物語に華やかさが出ているので
いいのですが。
あと
父のフョードルとか
長兄のドミートリイとかの
破天荒ぶりは酷いですが
まあ一種の寓話と捉えるならば
こういう誇張された人物造形も
物語の意図を明確にする効果があるのでしょう。
今回は
名前の表をつくりながら読んでいるので
ロシア独特の呼称
アレクセイ
アリョーシカ
アリョーシャ
っていうのにも苦労していません。
いつもはこれでわけが分からなくなるもので。
-カラマーゾフの兄弟(上)-
フョードル・ドストエフスキー
訳 原卓也