にほんごボランティア手帖(2) | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

4月から

新しい職場で

働いています。


人事異動です。


新しい職場には

知っている人が

一人もいません。


仕事の内容も

これまでとは

ぜんぜん違う

畑違いの仕事です。


初めての場所で

初めての人たちとする

初めての仕事

ということで

不安や

緊張感も

凄まじいものが

ありました。


新しい環境に

慣れるためには

とにかく

人に慣れることが

先決です。


おかげさまで

親切な人たちに

囲まれ

スムーズに

入り込むことが

できそうです。


とはいえ

最初の数日は

ホントに

心細かったのです。


これまでの仕事では

経験もあり

職場の

中心的な役割を

果たしていたので

職場で行われていることの

端から端まで

意識が

できたし

周囲からも

それなりの

存在として

みられていたので

プレッシャーも

強かったですが

できることと

できないことが

分かっているという

安心感も

ありました。


しかし

新しい職場では

右も左も分からない

異物のような存在。


外国のまちに

ひとりで

放り込まれたような

そんな気分がしたものです。


そんなときに

思い出したのが

にほんご交流ボランティアを

やっていたときの経験です。


日本に

やってきた

外国語話者のみなさんも

その多くは

出身国では

それなりに

自分の居場所を

もっていた人たち。


自己のアイデンティティ

といってもいいと思いますが

それを

もっているのです。


それが

日本に来ると

言葉ができないうえに

文化的慣習も分からないので

これまで当たり前に

もっていた

自己のアイデンティティが

にわかに危機にさらされます。


にほんご交流ボランティアを

始めるまでは

日本語ができない

ということのみを

クローズアップして

一方的に

教える人と

教えられる人という

図式に関係を

当てはめてしまっていましたが


よく考えると

彼ら彼女らは

確かに日本語は

まだ充分ではないものの

それ以外のスキルは

ぼくの持っているそれより

上であることが

分かってきました。


よく考えると

当たり前です。


それを踏まえて

交流すると

彼ら彼女らの

自尊心を傷つけずに

日本語を理解する

手助けをするという

行為がとても自然なものに

なったように思います。


近頃では

飲食店などにも

外国人の店員が増えてきました。


彼ら彼女らの日本語は

たどたどしいので

ぼくたちは

つい

彼ら彼女らの能力そのものが

頼りないと勘違いしてしまいますが

あなどってはいけないんですね。


日本語以外の能力は

ぼくたちと比べることは

できないのです。


もしかしたら

日本語ができないだけで

英語は相当だったりするかもしれませんし

母国では

ものすごい地位があったりするかもしれません。


たとえそれが

なかったとしても

日本語ができないことと

人間としての能力の総体は

容易には比べられないでしょう。



-外国人と対話しよう!

にほんごボランティア手帖-

御舘久里恵

仙田武司

中河和子

吉田聖子

米勢治子