*作品媒体(かかる期間、一つの作品にかける比重)としても
規模としても、同列にあげられる話ではなく
昨今取り上げられているニュースそのものに対する
意見ではありません。
ここにも一度ちらっと書いたことがある話なんですが
昔、参加していたバンドで
自分の楽曲がCD化される際に
アレンジャーさんの手にかかり
大きく変わってしまったことがあります。
それはあまり自分としては
評価できる音ではなかったです。
当時とても残念に思い、
取り下げてほしいという感情すらわきましたが
すでに出来上がりに向かいつつ動いていましたし
そのバンドが向かう方向性において
バンドのメンバー、事務所のスタッフさんなど
複数の人間の考えの中でなされた結果として
僕は何もいわなかった。
言えなかったのほうが正しいでしょうか。
今のボカロP活動において考えてみますと
「歌ってみた」文化はある意味
共存関係だったりするわけなので
そういう機会があればぜひお願いしたいとは思いますが
歌詞は変えてほしくなかったりはあります。
曲によっては調はかえてほしくなかったりもあります。
むしろ積極的に歌ってみてほしい、人の解釈を見てみたい曲もあれば
まったく触ってほしくない曲もあります。
作品というものは、自分とは分化された存在という解釈はわかります。
誰か別の人間の表現する器にならんことも
理解すべきでしょう。
ただ、どこまで行っても自分が表現したものであり
自分の分身?存在?みたいなところはあって
改変される場合、未熟さを補ってくれることではあるとしても
否定をされているような感覚があり
時にそれは違うんだろうなぁと傷つくことはあります。
そのほかポリコレだったり、倫理だったり
2次創作にたいする考え方
今のところそこに対しては現時点では何も配慮する危機感はないのですが
表現とはそういった責任というものも考えていかないと
いけないのかもしれないわけで
それら僕の今の感情では善悪は決まらない。
いやはや 大変です。
まとめ
今はないにしても、
今後将来「僕の」楽曲において
歌ってみたは歓迎です。
作曲の目的は多くの人が幸せな時間を過ごすこと
アレンジも含めてご自身の表現としての幅が生まれてもいい
(僕はそれに文句をいわないと決心しました)
ただ作曲者への敬意としては歌詞の改変は遠慮いただきたい。