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TAKASHI BLOG

移ろい行く日々の中で思ったことを心のままに描いていこうと思います
presented by takashings since May 19th 2006

THE PINBALLS IN TOWER RECORD'S POSTER

いまはコンピューターがある時代。
でも誰かに会いに行きたい気持ちやうつくしいものを求める人間の本質は
昔からずっと変わらなかったんじゃないかと想像します。
音楽はそのシンプルな感覚を運んできてくれる。
感情に曲を注いでいる気がします。

(THE PINBALLS)

これは"NO MUSIC, NO LIFE"でおなじみの
タワーレコードのポスターになった
THE PINBALLSの言葉。


毎回毎回このポスターに掲載されている言葉は胸を打つ。


そこにはきっと感情があるからだと思う。
言葉が持つ感情がそこに刻まれているからだ。


オレの好きな人たちがこうやって
誰かに何かを伝えられている事実。

すごく嬉しいし、
自分もがんばらなくちゃと思う。
そして、自分自身もこうなりたいと願うのです。


今日はそのことばかり考えていました。
Miracle is here.

わかりにくいかもしれませんが、
これはダーツです。

1本、2本と投げて、3本目に投げたダーツが跳ね返った結果、
このようにはまったわけでございます。

これをなんというか。

奇跡としか言いようがないです…。
(まぁ、投げたのは自分ではないですが)


しかしですね、
今生きているこの時自体、奇跡と考えるならば。

全てが奇跡の上に成り立っているんじゃないのかね?


なんかそんなことを思いました。



Miracle on another Miracle.
生きることは
死ぬことだ。


今日、朝のテレビでタレントの上原美優さんが
首吊り自殺をしたと速報で報道された。

24歳でこの世を去った。
あまりにも若すぎる死。


最近はあまりテレビを見ていないので、
彼女の活躍を見ることは少なくなっていたが、
特殊な生い立ち、明るいキャラクターなどからテレビで活躍していた。


しかし、彼女は亡くなった。



この報道が正しければ、という前提で話を進める。
真実は闇の中、ということもあるし、
報道の内容全てが正しいとも限らないが。


本当に悲しかった。


というか、誰かが自殺をするということ自体。


死ぬことっていうのは誰もが抱える運命なのだ。
いつか人間は死んでしまう。
いや、この世にいる全ての生き物は必ず死んでいく。

不老不死のようなことは夢物語でしかない。


しかし、老いとはまた違う次元で
理性があり、考えることを止めない我々人間は
自分で命を断つことを時にしてしまう。


自殺することは
人間特有の行為らしい。



しかし、死と直面する時、
あと一歩で死に溺れてしまう時、
勇気を出すのはそこではないはずだ。


自分の全てを死に捧げるのであれば、
生きることに少しでも捧げて欲しい、とオレは思う。


死ぬということは無に還ることだ。

そこには何もないのだ。
自分の悲しみや苦しみや痛みから開放されるために
死を選ぶのであれば、間違っている。
(感情論かもしれないが)


確かに開放される。
しかし、もう何も感じることができないのだ。


生きていれば、
感じられるのだ。

喜怒哀楽、
幸せ、感動。

時にもちろん、感じたくないこともある。

でも、人生はそれが全てではない。



生きているだけで幸せなのだ。


特に今のこの時代は。



そこに人がいる。
そこに待っている人がいる。

それだけで支えられている幸せなのだ。




どんだけ声を出そうとしても
届かない死の海の中。

どうか、生きて欲しい。


生きて欲しかった。


あなたが生きているだけで
救われる人がいるということは事実でした。
japanese garden

5月11日。
オレにとって2つの区切りがあった日。

1つは3月11日にあった東北地方沖地震があった日。


2ヶ月経った。

あっという間なのか、
ここまでやっときた、なのか。

月日が経ったからか、
余震も前に比べて減った。
1ヶ月の区切りがあるからか、
テレビではいろんな人の
黙祷している姿が映し出された。


今でも信じられない。
これが現実ということが。

実際に自分が見たわけじゃない。
現地に行って、その被害を肌で感じたわけじゃない。

目で見えるものは、
現地の人の喜怒哀楽。

2ヶ月経ってもまともな生活を
送ることができない人がたくさんいる。

そんな中で仕事を失った人もいれば、
なんとか仕事にありつけている人もいる。

人生模様は十人十色だ。



あれほど駅前やいろんなところで行っていた
街頭募金を募る人もどこへ行ったのだろうか。

休日や平日に限らず、街はあの日を
忘れてしまっているかのようだ。


いろんな人がいる。

忘れたいと思っている人もいる。
忘れたくないと思っている人もいる。


そんなあの日から2ヶ月経った昨日。



そして、個人的には
先週も書いたが、
祖母の命日だった。


5月11日。
あれから1年が経った。
ちょうど1年だ。


忘れたくない日でもある。


どんなに言葉を尽くしても
帰ってこないものがある。

悲しみに暮れているけど、
どっかで吹っ切れているかもしれないわけで。


"人間っていうのは忘れる生き物"と言われる。

でも、忘れることなんてできない。
どんなに季節が流れても、
心の奥底にある気持ちなんて流されてたまるか。





世の中には忘れたくないことなんてたくさんある。


誰かの誕生日。
好きなミュージシャンの歌。
人生を変えた有名人の言葉。
恋人の甘い囁き。
自分の向かう先、夢。


まだまだある。


だけど、時間が経つにつれ、
自分たちが生活を送っている中で
捨てていく時間の抜け殻みたいなものに
そんな記憶たちが埋められていく。


時間は薄情だ。

悲観的な言葉かもしれないけど、
その通りだと思う。

薄情で、有限で、もう戻ってこない、


時間は。




そんな中でどっかに置き忘れたり、
捨ててしまったり、
踏み潰してしまったり、


記憶を。




自分はそうならない、と思っていても
そうなる可能性はたくさんある。



だから、オレはこうやって書くことで救われている気がする。

残し、
伝え、
思い出す。

そして、少しでもその波紋が広がっていく。

消えそうになったら、またその波紋を作るよ。

その繰り返し。



思いよ、回れ。
My Home's Key and more

まさかの事件。
本日、鍵をなくしました。

発覚したのは、
会社に近い最寄り駅の側にあるコンビニで。
レジでお金を払おうと思って、
カラナビにくっつけているコインケースを開けようとしたら、ない…。

つまりは、一緒にくっついている家の鍵もない…。

ヤバイ、さあ、どうしよう…。


ということで、
駅にすぐに戻り紛失届を出し、
見つかったら電話をもらうことに。


しかし、よくよく思い返したら、
家にあるかも…と深くは考えず、
家に帰ったら、案の定床に転がっておりました。


ということで、事件は事件ではなくなり、
ただの自分のおっちょこちょいな話に落ち着いたのだ。

補足しますと、うちの家は2段階。

1つは部屋の扉。
これはダイヤル式の鍵になっておりまして、
パスワードを入力して開けるのです。
なので、部屋の扉を閉める時はボタン1つで鍵不要。

もう1つは門といいますか、入り口の共通の扉。
ここは実際の鍵が必要。ここを開けるための鍵を無くしたわけです。
オートロックとなっているので、部屋を出る時には鍵不要。

つまりは、家を出る時は鍵を取り出す必要はないのです。

なので、家を出る時には心配は不要だったわけです。


●なぜ鍵を忘れてしまったのか?

そもそも、なぜ大事な鍵を忘れてしまったのか…?

それは、今日はたまたま引き出しの奥から
久しぶりにこんなの履いてみようってことで、
チノパンを引っ張り出したわけです。

いつもなら、流れで家の鍵が付いている
カラナビを付けるんですが、
どうもいつもと違ってか、
忘れてしまったわけです…。


●"いつもと違うこと"と"いつもと同じこと"


ってことで、よくあることなのかもしれません。

"いつもと違うことをすると、
いつもしていることがリセットされる"
ということが。


特別なことをやると
いつもはできていても、できないことってあると思います。
特別なことに気を取られ、忘れてしまうこと。

例えば、ちょっとした出張で
忘れてしまうコンタクトレンズの保存液とか。

いつもしていることってどうしても忘れがちになってしまう率高いかも。


●んで、結局それ、どうすりゃいいの?

って話ですよね。

結論を言えば、忘れないようにする。
という言葉が一番何だけど、その対策をしないと意味が無いわけで。

方法はたくさんあるのです。

・ルーティングワークをきちんとこなす
→いつもしていることをきちんと習慣化して、こなす。基本ですね。
でも、いつものことに組み込まれていないと意味もなく、忘れてしまう率も高め。
ですが、身体が覚えているっていうことも何気にバカにできないこともある記憶術に頼るやり方。


・家など通る道にやることを設置する
→やらなくちゃいけないことを目につくところに置くわけです。
そうすれば、忘れる確率っていうのは低くなるわけです。
例えば、パソコンのディスプレイに付箋を貼っておくとか。
これ、必ず目に付くので、忘れる率は低くなりますよね。


・最後に確認を入れる
→チェックシートももしかしたら、これに入るのかもしれません。
何かの作業や何かの流れの終わりに確認を入れるわけです。
例えば、家を出る前に扉に忘れてしまいそうな事リストを貼っておいて、
それを家を出る直前に確認すると、"あ、忘れてた…"と思い出すかもしれません。


今回の鍵を家に置き忘れた理由としては、
特別なことをした(いつもと違うパンツを履いた)ことではなく、
確認を怠ったわけなのでございます。

そして、いつも鍵を置いてある場所に置いてなかった。


これが主な原因。

なので、今回で言えば、

・家を出るときに鍵を持っているか確認してから出る
・いつも鍵を置く場所にきちんと置く
・寝る前に鍵をちゃんと目につくところにあるか確認する


ということで、改善されることでしょう。


たった1つの鍵を忘れてしまったことから始まりましたが、
何気に記憶ってバカにできなくて、意外に信用ならないものです。

頼り切ってしまっていては
何の意味もないわけで。

だから、頼り切る前にそれを補足するぐらいのものもちゃんと用意しておきましょう、ってことです。